『ルーガ』 小池 昌代

評価:
小池 昌代
講談社
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(2005-11-01)

小池昌代さんの文章が好きだなあと思います。
すいよせられる、引きこまれる。
日常生活にはぱっくりと口を開けている奈落があり、いまかいまかと手をこまねいている・・・ひとりでいてもふたりでいても、人はみな‘孤独’だとあらためて知らされる、そんな中編を3つ(『ルーガ』、『ニギヤカな岸辺』、『旗』)収録しています。
たんたんと流れゆく言葉たち。その底を埋めつくす醜悪な危うさ――狂気とも恍惚ともいえる危うさに、ぞくぞくぞくぞく・・・私の心はみるみる脅かされてしまいました。

『ニギヤカな岸辺』で、お向かいのおばあさんが、結婚って碾き臼ね。と語るくだりが印象にのこっています。不気味に囁く、魔女の呪文みたいです。
「大きな臼で、長い年月かけて、ごりごりごりごり、お互いを碾きあう。凸凹も均されて、最後にあなた、ふーっと相手を吹いてごらんなさい。目も鼻も口も眉もすべてふきとんで、あとには何にも残らないはずよ。身が粉になるまで、ごろごろごろごろ」
Author: ことり
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『雨男、山男、豆をひく男』 小池 昌代

なにやら、これから「おはなし」がはじまりそうなタイトルですが、詩集です。
小説じたてやエッセイっぽいものもあって、すごく自由な香りのする詩集。
ありふれた風景をまたたくまに‘特別’にしてしまえる小池さんの繊細な感性と、丹念に選びぬかれた――まるでピンセットで慎重につまんで選びとったような――言葉たちがとても鮮やかでかぐわしく、酔いしれてしまいそう。
短い文章のひとつひとつなのに、それらが動きだして像を結び、イメージがリズムにのって私のなかでふくらんでくるのが分かる、珠玉の詩たち。
思わず読み返したお気に入りは、ボクサーの躍動する肉体がまぶしい『男たち』。
それから、生と死の分かれ目が、無声映画のように脳裡に焼きつく『浮浪者と猫』。
「言葉」を大切にしたい方におすすめの一冊。

電車のなかから
金子ジムの練習風景が見える
若い男が闘っている
暗い夜のなかで
桜色の筋肉が
黙って花のような汗をかいている
闘う、というその姿勢に
私は何かを思い出しそうになり
思い出しそうになって
ついにわからない (『男たち』より)
Author: ことり
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『タタド』 小池 昌代

評価:
小池 昌代
新潮社
¥ 1,470
(2007-07)

どこか子供じみた大人たち。
海辺の家に集まった4人の男女はワインに酔い、アロエ化粧水を塗り、交代で夏みかん風呂に入る。あどけないような時間がひっそりと死の気配をふくませて、やがて「決壊」の朝を迎えるまで――。
表題作『タタド』をはじめ、『波を待って』、『45文字』、どのお話も、ひたひたと寄せてきて心にゆっくりしみてくる深い味わいがありました。
いままでなにげなく通り過ぎてきた物事が、急に新鮮なかたちで目の前に差し出される・・・文章の手触りに魅せられ、読むことの幸福で胸がいっぱいになる・・・そんなすばらしい文章たちに、たくさんたくさん出会えたのです。
たとえば『波を待って』の冒頭、海辺の描写。
耳の奥、鼻の穴、爪のあいだなど、隙間という隙間にも砂が入り込んだ――
風、砂、水、光は、容赦がない。まみれて海と一体になるしかない――
この鮮明さ、まるで頁のすきまにまで砂粒がまぎれ込んでいそうなほど・・・。

顔いちめんのしみやそばかす、肉づきのいいふくらはぎ、弾力のある背中。白髪は増え、皺もたっぷり刻まれている。この本に出てくるのは、もう若くはない人たちばかりだけれど、若くないからこその成熟した魅力がしずかに満ち満ちています。
おたまで鍋のなかをかきまわそうとすると、ちょうど、ひとつがぱくりと口をあけ、亜子がぼんやりと握っていたおたまを、ぐいと上に押しやった。そこ、どいてくれよ、というように。亜子は驚き、その柔らかく決然とした拒絶の力に、自分の命が押し返されたように思った。それは驚くほど官能的な触感だった。
夫の背中には、あの貝と同じ弾力があった。もっとも、貝が何かを押しのけて開くとき、それは貝の、死ぬときである。(中略)夫の背に見えたものも、死を内包した、生の絶頂の輝きなのかもしれない。

ストーリーの行方よりも、言葉そのものの持つなまめかしさ、行間の奥に秘められた繊細な思いを感じとっていく・・・そんな読み方がふさわしい本ではないかしら。
この、まとわりつくような倦怠と、淡い官能を。
Author: ことり
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『裁縫師』 小池 昌代

評価:
小池 昌代
角川書店
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(2007-06)

広大な屋敷の離れにひっそりとアトリエを構えるひとりの裁縫師。たいそう腕が立つというその裁縫師の元を訪ねた9歳の幼女は、そこで禁断の恋に身をまかせることになる――。
9歳の女も感じるということを、ひとは知っているだろうか。
不穏でフェティッシュな、エロティシズム溢れる新感覚小説集。

意識するのは、その指先。まるで白昼夢のような空間で衣装を仕立てる男の指が、少女を一瞬で「女」に変える。
妖しい花の刺繍、はだけた幼い背中、仮縫いの針の感触・・・
硝子のなかの‘9歳の娼婦’、うなじへの不意のくちづけ・・・
あまく熱いものがからだじゅうをめぐり、ドキドキとして、ちょっぴり後ろめたくて。
誰にも知られたくない私だけの秘めごと。きゅっと下腹部が疼き、ふいによみがえってくる遠い記憶――。
『裁縫師』、『女神』、『空港』、『左腕』、『野ばら』。おのずと匂いたつような物語5つ。選びぬかれた静かな文章に、なつかしい緊張感と時空間の切り替わる鮮やかな色彩がせまり、お話の‘迷路’からいつのまにか抜け出せなくなっていた私でした。
晴れた日に鬱蒼とした森に迷いこんでしまった、そんな孤独と不安のなかにくらりと姿をあらわす官能のゆらめき。男に心ゆくまで征服され、奪われ、それでもどこか野性的な可憐さをうしなわない主人公たちのめくるめく運命にそそられてしまいます。

どのお話も、1行めを読んだときから独特の世界が始まるのがわかり、ラスト1行が不思議な余韻をのこす、珠玉の小説集。
こんな一冊に思いがけず逢えるから、読書はやめられないのです。

十一月はいつのまにか終わり、十二月になっても、一月になっても、空はたかく青く、晴れあがっている。
美知子はきょうも、鋼鉄のように自由だ。(『野ばら』)
Author: ことり
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