『贅沢貧乏』 森 茉莉

華麗な想像力、並はずれた直感力と洞察力。現実世界から脱却して、豊饒奔放に生きた著者が全存在で示した時代への辛辣な批評。
表題作「贅沢貧乏」「紅い空の朝から・・・」「黒猫ジュリエットの話」「気違いマリア」「マリアはマリア」「降誕祭パアティー」「文壇紳士たちと魔利」など豪奢な精神生活が支える美の世界。エッセイ12篇を収録。

空想好きで、優雅に孤独なマリアさん――この本のなかで森茉莉さんは、牟礼魔利(むれ・マリア)と名のっているのでマリアさんです――の、自分の美学にけっして屈することのない生き方エッセイ。
部屋に飾られたいくつもの硝子の空罎たち。独特の鉄則に基づいた物えらび。
世界は彼女の目に、まるで半透明のガラス板を通したようにぼんやりとうつります。夢みがちでデコラティヴ、こだわりづよく香り高き精神世界・・・。

花弁を上向けているアネモオヌの深い皿。咲いていることにもう倦きているような、物憂い薔薇色、黄色、ミルクを含んだ橙(オレンジ)、濃紅。アネモオヌの美女達は、この天使のついた燭台(スタンド)の光の中でこそ、魔利に深い夜の夢を、見せるのだ。
マリアさんが書き表せば、それはすでに私の知っているアネモネの花ではないみたい――妖艶なベルベッドのドレスをまとった巴里の女のよう――・・・それらは「硝子の壺の、薄緑の水垢を沈めた薄明りの中から、蛇が立ち上ったような恰好にそれぞれの形で延びている、十本程の薄緑の太い茎の上に」憂いているのですから。

幼い頃から父親に美しいものをあてがわれ、蝶よ花よと育てられたことで身についた自信と美意識。
浮世ばなれした自分をちゃんと知っている彼女は、それでも毅然と心のなかのきらびやかなお城で生きる。たとえ貧乏でも、心は王女さまのように豊かなのです。
Author: ことり
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『甘い蜜の部屋』 森 茉莉

少女モイラは美しい悪魔だ。生まれ持った天使の美貌、無意識の媚態、皮膚から放つ香気。薔薇の蜜で男達を次々と溺れ死なせながら、彼女自身は無垢な子供であり続ける。この恐るべき可憐なけものが棲むのは、父親と二人の濃密な愛の部屋だ――。
大正時代を背景に、宝石のような言葉で紡がれたロマネスク。

約一週間、文字通り「耽溺」しました。
純粋さと残酷さがまじわった、これほど妖艶な小説はいまだかつて読んだことがなくて、すっかり圧倒され、憔悴し、途方に暮れてしまった私です。
森茉莉さんが還暦すぎから10年がかりで書き上げたという原稿用紙900枚にもおよぶ長編小説。茉莉さんいわく「父と娘との間の深い愛情を描いた一種の恋愛小説であり、モイラという、ものすごく魅力のある若い女を描くことも主なテエマ」であるこの小説は、三部構成のうち、第一部まではお話の主人公・モイラと父・林作に、茉莉さんと鷗外(林太郎)さんの父娘関係が大きく投影されているようです。

父と娘の閉じられた「甘い蜜の部屋」、父と娘の愉しげな馴れ合いを通して、モイラの悪魔性――モイラがどんな少女で、どんなふうに甘やかされ、どんなふうに男を虜にし、どんなふうに破滅に追いやるか――が花の蜜みたいに濃密で甘やかな文章で縷々書き記されていく、空怖ろしいまでに背徳的な物語。
じっと眼を見開き、ぼんやりとして、ただ身体をくねらせて反応するばかりの、生きたお人形さんみたいな少女。そのくせ幼い時から、周囲の人間が自分に溺れたり夢中になったりする原因が、自分の綺麗な顔や体、皮膚、可哀らしい大きな眼にあるということを知っていた。そんなフワフワしたふてぶてしさ、百合のような香いと張り合いのなさが男たちを狂わせていくモイラ・・・。
モイラのような人がもしも実在しても、私はきっとなかよしにはなれないし、好きにもなれなさそう。なのにこの本を読むかぎり、とっぷりとモイラの虜になったのは、モイラの悪魔っぷりがとても美しくかぐわしく伝わってくるのは、なぜなんでしょう。それがそのままいとおしさに通じるものがあって、作者・茉莉さんの視点にどこか男性的なものも感じてしまいました。
暈りとした光のくぐもった眼である。(中略)モイラの眼は、酷く可哀らしいが、底に肉食獣を想わせるものが隠れている。自分に注がれる愛情への貪婪である。愛情を喰いたがっている、肉食獣である。モイラは自分に注がれている愛情の果実を、飽くまでむさぼり尽そうとする。まして林作の愛情は、黄金の果実の汁のように美味く、いい香いがするのだ。殆ど無意識の中でモイラは、(中略)林作の愛情を雫まで吸いつくそうと、している。その強い意力は、モイラの硝子によって鈍まることで、より強力なものになり、それが林作のすることを見ている可哀らしい眼の中に凝と潜んでいて、林作の心を限りなく、惹くのである。
Author: ことり
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