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『SOSの猿』 伊坂 幸太郎

評価:
伊坂 幸太郎
中央公論新社
¥ 1,620
(2009-11-26)

誰かのSOS信号をキャッチするとどうにかしてあげたくなってしまう遠藤二郎が語る「私の話」と、ものごとの因果関係の糸をたどっていくためだけに存在する男・五十嵐真が主人公の「猿の話」。
二郎はひきこもり青年の悪魔祓いをたのまれ、五十嵐は一瞬にして300億円の損失をだした株誤発注事故の原因を調査する・・・いっけんまったく関係のなさそうなふたつのお話が交互に展開し、やがてまじわるストーリー。

「ほんとうに悪いのは誰なのか」「暴力はいつだって悪なのか」
悪霊とかユングとか、古代エジプトの女神がどうだとか、孫悟空の分身だとか・・・なにやら壮大でフワフワしたものたちがゆらめいているなかに、強い意志のこめられた問いかけがぽつん、ぽつん、と置かれています。
ふたつの世界が完ぺきにつながったとき・・・時間と空間がぐいっとねじれるような感覚が快感でした。コンビニコーラスの雁子(かりこ)さんたちと五十嵐が出逢う場面なんて最高に可笑しい。
・・・だけど、つながったのにぬぐい去れない、もやもやと残るもの。
「悪い部分と善い部分が混ざり合って、一人の人間になってるからね」
雁子さんの言葉がよみがえります。世の中の悪事はぜんぶ悪魔のせいにしてしまえたら救われるのに――もやもやの正体は、もしかしたらそんな思い?

いまも誰かがどこかで泣いているとして。
そこからどんどん因果関係をたどっていったら、誰かのほんの出来心やちょっとした偶然などが巡り巡ってその人を苦しめていて、誰かひとりだけが悪いわけではないのかもしれません。
猿の化身、しゃべる蠅、荒唐無稽な夢物語。
無意識の風景のなかにある、これは救いの物語。
「物語を考えることは、救いになるんですよ」とわたしは言う。言わされているのだろうか、という疑念は依然としてある。「たとえば、二度と会えない誰かが今どうしているのか、最後まで見届けられなかった現実がその後どうなったのか、そういった物語を想像してみると、救われることはあるんです」
Author: ことり
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