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『シュガータイム』 小川 洋子

「砂糖菓子みたいにもろいから余計にいとおしくて、でも独り占めにしすぎると胸が苦しくなるの。わたしたちが一緒に過ごした時間って、そういう種類のものじゃないかなあ」

異常な食欲をもてあます「わたし」、身体の成長が止まってしまった弟・航平、花粉アレルギーの親友・真由子、‘不能’な恋人・吉田さん・・・みんなどこかしらが病んでいる、けれどやさしさと誠実さにみちた人びと。彼女たちの、あまやかで透明で淡い水の影のような青春のひとこま――「シュガータイム」が終わるまで。

読み始めたとたん、世界にすべり落ちてしまったみたい。
小川さんに切りとられることで生まれ変わったなにげない一瞬一瞬を、ひとつひとつ宝物のように大切にひろい集めていく・・・そんなふうにしてこの物語を読み進めていった私です。哀しみを帯びたお話のはずなのに、彼女のつむぎ出す言葉たちはその翳りまでも美しく妖しくて、うっとりと溺れてしまいそう。
「ユダヤ人の死体の脂で作った石けん」を思わせるアイスクリーム・ロイヤル、弟の心細いほどにゆっくりとした美しいまばたき、一人きりでランチを食べる初老の紳士の華奢な指、など心にしみついて離れない描写がいくつもあるなかで、とりわけ何度も何度も読み返してしまったのは、
夜、身体を包む空気がゼリーのようにゆっくり固まり始める頃、眠りの小人が訪れて耳小骨のあたりをノックする。
こんな一文からはじまる‘特別な春の夜’の描写。桜の花びらが一枚一枚広がってゆく、その密やかな気配が眠りの世界にまぎれ込んで感じる春の訪れ――思わず引き込まれ、ほれぼれしてしまう美しさです。

あとがきから、これが小川さんご自身にとってとても大切な物語だということが分かります。アンネ・フランクの挿話がところどころで効果的に使われているのですが、ラストまぢか、弟とふたりで開く‘アンネの夕食会’が、せつない余韻とともに大好きなシーンとして心にのこりました。
Author: ことり
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