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『コルシア書店の仲間たち』 須賀 敦子

1950年代の半ばに大学を卒業し、イタリアへ留学した著者は、詩人のトゥロルド司祭を中心にしたミラノのコルシア書店に仲間として迎え入れられる。理想の共同体を夢みる三十代の友人たち、かいま見た貴族の世界、ユダヤ系一家の物語、友達の恋の落ちつき先など書店の人々をめぐる情景を流麗に描いたエッセイ。

いまもまだのこっている余韻。胸のあたりがちりちり震えているような、そんな感覚が続いています。
1960年代のミラノ、ひとつの特殊な書店を中心に置いた流れるように美しいエッセイ。馥郁とした香り、あふれてくる感情・・・読みながら、私はなんどもなんども泣きだしそうになってしまいました。

ピノッキオの青い髪の仙女みたいなご婦人がほほえみながらすわる椅子、
おびただしい数の絵にうもれるように飾られた静謐なモランディの絵画、
モンターレの詩の舞台となったモンテ・ロッソをたずねるきらめく初夏の列車――
端正な文章で紡がれていくのは、著者の記憶のなかの風景。
そこでは、かつておなじ場所でおなじ時を過ごした‘仲間たち’が生き続けています。ひとりひとりそっと抱きしめるように、孤独の裡にていねいに思い起こされる愛おしい面影や口癖、仕草。やがてさまざまな事情で別れていく、そんな哀しさがにじみ、いくつもの記憶の断片がつなぐ物語に遠い過去の異国へとつれて行かれる私・・・。
須賀さんがご自身の体験をこのように文章にするまでには、およそ30年の歳月が置かれています。それほどの長い時間をかけなければ分からなかったこと、それが分かって初めて書けた文章だから、これほど重く、深く、読み手の心を揺さぶり沁みてくるのでしょうか。失くしたものを大切に思う気持ちが強ければ強いほど、人は、その慈しみ方が分からないものなのかも。

人間のだれもが、究極においては生きなければならない孤独と隣あわせで、人それぞれ自分自身の孤独を確立しないかぎり、人生は始まらないということを、すくなくとも私は、ながいこと理解できないでいた。
若い日に思い描いたコルシア・デイ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う。(『ダヴィデに』)

すこしずつ確実に忘れ去っていく膨大な過去たちと、それでも心にのこったほんのひと握りの記憶・・・時の流れには果てがなく、記憶はこぼれ落ちるものと決まっているならば、いまこの時を、かけがえない家族や友人を、もっともっと大切に生きていきたい、そう思いました。
Author: ことり
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