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『なかなか暮れない夏の夕暮れ』 江國 香織

「人生」と「読書」が織りなす幸福なとき。
本ばかり読んでいる稔、姉の雀、元恋人の渚、 娘の波十、友だちの大竹と淳子・・・切実で愛しい小さな冒険の日々と頁をめくる官能を描き切る、待望の長篇小説。

読み終えてしばらく、かなしいくらいにとり残されて、美しい余韻と愉悦に浸りました。
北欧の雪景色、押し当てられる冷ややかな銃口、官能的な異国のたべもの、とろけそうな情熱と裸の戯れ・・・
小料理屋にみちる温かな湯気、はちみつソフトクリーム、夜気にまざった金木犀の匂い、三枚目の離婚届・・・
本の世界から途切れ途切れに幾度となく引き剥がされるその刹那、もどってきた現実(ここ)は、ほんとうに‘ここ’なのでしょうか。まぎれもなくそこにいたのに、すーっと遠のくように空気がかわり、そのつど引き戻されるここは。本のなかのみんなどこかに生きていそうな、そう信じてしまえる繊細な感覚がきらきら閉じこめられていて、胸がいっぱいになりました。

本を閉じ、寝椅子から起きあがった稔は、小説のなか同様、窓の外も夕方になっていることに気づく。ここには密林もなければ豪奢なヴィラもなく、空はばら色ではなく薄青いにしても。

小説を読むということ――登場人物たちと親しくなり、みずからもそこの住人となるけれど、それも束のま、やがては過去の旅の記憶となってしまう。
それでもひもとくのをやめられない。心にのこされる特別ななにか(それは一瞬の心のふるえでももちろん構わない)をもとめて、花から花へ蜜を恋う蝶ちょみたいに頁のむこうに誘いこまれるの。
ラースもゾーヤも、ナタリアもスコットも、稔も雀も大竹も、そしてあなたも私も。
生きている世界はおなじなのかもしれないのです。だって「世のなかは本のなかに似ている」のだから。
「知らない場所にいる夢」 なにげなく少女が口にするひと言が、そのまま私がみていた‘夢’とかさなって溶けてゆくようです。

チョコレート好きの江國さんの新刊を、ヴァレンタインの夜に。
心とろかす蠱惑のチョコレートみたいに、香り高くて忘れられないひと粒の贈り物。
Author: ことり
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