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『のれんのぞき』 小堀 杏奴

「生れた家のある本郷の団子坂から、谷中、上野桜木町を経て、根岸へ通じるあの辺一帯はたとえどんな道筋でも、横丁でも、私には見覚えのあるものばかりで、もし夢にどこか解らないがよく知っている道が出て来たとしたら、必ずあの辺りと思ってよかった」(本文より) 昭和の風にふかれて、老舗、職人、名跡をてくてくめぐる日和下駄。生まれ故郷の団子坂から父眠る三鷹の寺まで、東京を歩いて拾った声と情趣。

森鷗外さんの次女・小堀杏奴(アンヌ)さんの随筆集。
『のれんのぞき』。まずこのタイトルがとても好きです。のれんをすっと上げて、「いまいいかしら?」とか、「ごめんください(おそるおそる)」とか、「また来てしまいました」とか・・・そんなふうにお店をたずねるアンヌさんがにこやかに目にうかぶよう。
お付き合いのある店主や職人に聞かされた逸話や、亡き母との思い出、いまでは見かけなくなった懐かしいものものへのあふれやまぬ思いなど、人やものにそっとよりそいしたためられている味わい深いエッセイの数々です。

ちょいちょい着の糸織の袷せに黒繻子と腹合わせの帯、地味な縞おめしの羽織を着た母が、白い膝を見せ、ぎしぎしきしむ車に乗り込むと、車夫はたちまち小さい私の両脇に手を差し入れて吊すように抱きあげ、例の毛布を大きく拡げて、私を載せた母の膝ごとしっかり膝掛けでくるみ込み、黒い前幌の尾錠を嵌める。私は幌の桐油臭い匂い、埃っぽい膝掛けの匂いに包まれ、外界とは全く遮断されてしまう。宝丹の香が漂う柔い母の、びろうどのショールが私の後頭をくすぐり、眼の前の四角く切り開かれたセルロイドの窓からは、街灯の光が揺れ動き、またたいている。(『人力車』)

端正で、さわやかに控えめな文章は、装飾や横道にそれることが多い姉の森茉莉さんのそれとはまた印象がちがいますが、やはりハイソな少女時代を過ごされた教養高さや美意識も感じさせます。
ここに収められているのは、昭和30年代、雑誌『酒』に連載された「のれんのぞき」「お江戸は遠くなりにけり」「ハイカラ風俗史」「江戸の古寺」から厳選されたもの。
ひと昔まえの風にぼんやりと吹かれながら、香り高い東京散歩が愉しめました。
Author: ことり
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