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『春昼・春昼後刻』 泉 鏡花

うとうとと夢でも見そうなのどかな春の昼さがり、散策の途次たち寄った山寺で住職から明かされたのは、一瞬の出会いののち、不可思議な夢の契りに相結ばれた男女の物語だった。あくまで明るい春の光の中、夢は夢へと重なり合って不気味な宿命の物語が展開する。
鏡花随一の傑作との呼びごえ高い連作。

「お爺さん、お爺さん。」「へえ、私(わし)けえ。」
春の里のうららかな光景に、とろりと眠たげな会話。物語はこの上なく美しい春の描写から始まります。
あふれんばかりの陽の光、真黄色の菜種の花、のどかに流れてくる機(はた)の音。
でもやがて、散策子の行く手を蛇が横切り――・・・霧に巻かれるようにひやりとした幻想怪奇の世界へと引きずりこまれてしまうのです。
ああ・・・こんなにうららかな春の午後なのに、頁をめくる指先から冷えてゆきそう。

懐紙にすらすらとした女文字で書かれた小野小町の歌と「玉脇みを」という名前。
その歌を書いた美しい人妻と、彼女に焦がれて死んだ客人との恋物語。
そうして一連の話を聞いた山寺からの帰り道、散策子は玉脇みをに出逢うのですが、その女性美の描写たるやため息が出そうなほどの妖艶さで描かれています。
すこし書き出してみると、それはこんなふう。
その蔭から、しなやかな裳(もすそ)が、土手の翠を左右へ残して、線もなしに、よろけ縞のお召縮緬で、嬌態(しな)よく仕切ったが、油のようにとろりとした、雨のあとの路との間、あるかなしに、細い褄先が柔かくしっとりと、内端(うちわ)に掻込んだ足袋で留まって、其処から襦袢の友染が、豊かに膝まで捌かれた。雪駄は一ツ土に脱いで、片足はしなやかに、草に曲げているのである。

幻想に憑かれて死んだ客人と美女とのあいだで、夢と夢がかさなり、さまざまに不気味なモチーフが繋がり、いつしかあらゆる境いめが曖昧になって溶けてゆきます。
春の日ざしのぬくもりに、女の魔性と悲哀の灯る極上の物語。
敷きつめられている言葉たちがあまりにも魅惑的で、眩暈のしそうな真昼の夢をゆらゆらとたゆたう恍惚。この美しい文章を堪能できるだけでも日本人に生まれてよかった・・・なんて思ってしまう私です。
Author: ことり
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