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『父の帽子』 森 茉莉

東京・駒込千駄木観潮楼。森鴎外の長女として生まれた著者は、父鴎外の愛を一身に受けて成長する。日常の中の小さな出来事を題材にして鴎外に纏わる様々なこと、母のことなど、半生の想い出を繊細鋭利な筆致で見事に記す回想記。「父の帽子」「『半日』」「明舟町の家」「父と私」「晩年の母」「夢」ほか16篇収録。日本エッセイストクラブ賞受賞。

森茉莉さん、初期の随筆集。
後年のちょっぴり毒の効いたエッセイも大好きだけれど、この頃のしっとりと少し哀しみを帯びた文章、私はとても好きです。追憶に彩られた文字のひとつひとつが、いい匂いのするなめらかなお湯のようにやさしくしみてくるのです。
糖蜜のように甘いパッパ、美しく誤解されやすかったというお母さんとの淡い日々。百日咳で死の淵から生還したこと(弟は死んでしまった)や、父との最後の思い出に突きささる刺の痛みなどが、記憶の底からあふれ出すみたいに、正直に、つぶさに、美しい文章で書きつけられてゆきます。

いろいろな場所の夕暮れ時や、真昼、雪の降りしきる真白な世界なぞが私の頭の中に、ぼんやりと浮んで来る。昔の記憶は、夢のように淡い。遠い、白い昔の夢は、底に熱でもあるように、幸福な想いを内にひそめて私の胸の中に、満ちて来る。(『幼い日々』)

この本を読んでいると、茉莉さんが、幼い頃の幸福な思い出を糧に生きてこられたのがよく分かります。
それはふわふわと柔らかく、ほんのりと染まり、大切にとくべつな場所にしまわれていたのですね。子供の頃に体を洗ってもらった感触や、庭に咲いていた花たちの色や匂い、食卓のこまやかな献立から、お味噌汁の鍋の底でからからという貝殻の音まで、こんなにも鮮やかに憶えていられるなんて。

≪泥棒をしても、おまりがすれば上等よ≫――
≪あたしはパッパとの想い出を綺麗な筐に入れて、鍵をかけて持っているわ≫――
いまごろ、天国で父娘はどんな会話をされているのかしら。
茉莉さんは、パッパのお膝に坐ってやっぱり甘えているかしら・・・。
Author: ことり
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