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『ヴェネツィアの宿』 須賀 敦子

評価:
須賀 敦子
文藝春秋
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(1993-09)

しずかにしずかに過去へと向かう、美しいことばでつむがれた至高のエッセイ。
芦屋ですごした幼少期、寄宿舎生活時代やパリへの留学時代、その後ローマに留学した時のこと。イタリア人の男性と結婚しミラノで暮した日々。日本に帰った後、久しぶりにイタリアを訪れた時のこと――
著者・須賀敦子さんが歩いてきた曲がりくねった道の途上、その折々になつかしくうかび上がる父や母の面影・・・暗がりでそっとまたたく思い出たちが次々につむぎ出され、なんだか豊かな霧雨に降りこめられていくみたい。
 
初めてパリで迎えた朝は、しかし、日本での学生時代になんどか休暇をすごした高原を思わせる金色に晴れわたっていて、私は早い時間に寮を出て坂を降り、大聖堂をめざしてセーヌの河岸に出た。橋をわたったあたりで、カテドラルが、夏の早朝の張りつめた空気のなかにその全容を見せはじめた瞬間、どうしたことか、私は、とつぜん、この中世の建造物と自分が、ずっといっしょに連れだって日本からやってきたのではないかという、奇妙な錯覚にみまわれた。それまで自分のなかではぐくみそだててきた夢幻のカテドラルと、目のまえに大きくそびえわだかまる現実のカテドラルとが、きらきらとふるえる朝の光のなかで、たがいに呼びあい、求めあって、私の内部でひとつに重なった。(『大聖堂まで』)

12の章をしっとりと渡ってゆくそれぞれの街の香り・・・
かつて流れていた時間をふわっとつかまえて、歴史や信仰や人との関わりのなかに織り込まれる物語がせつなく、美しく、心にしみていくのが感じられます。異国で亡き父のことを思い出してはじまるこの本が、父の望んだコーヒー・カップのエピソードに帰り着いたその時、涙で文字が見えなくなりました。
彼女のなかの揺るぎのないものと、はにかんだ少女のような淡いためらい。
須賀さんの本を読むたび、おなじ時を過ごしてみたかったと憧れにも似た感情を抱いてしまう私なのです。
Author: ことり
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