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『妻の超然』 絲山 秋子

評価:
絲山 秋子
新潮社
¥ 1,470
(2010-09)

夫の浮気をそ知らぬふりでやり過ごす妻――不安と諦念と愛情のせめぎあいをユーモアたっぷりに描く『妻の超然』。
お酒が一滴ものめない理系新入社員――宴席での理不尽に耐え、ボランティアに没頭する彼女とのすれ違いに苦しむ『下戸の超然』。
腫瘍摘出の大手術をうける小説家――生きること、書くことの困難とその本質的な意味に対峙する『作家の超然』。

絲山さんの書かれたものはもうずいぶん読んできた気がするけれど、この本はそのなかでもかなり好きです。
『妻の超然』は妻の冷めた一人称、『下戸の超然』は新入社員「僕」の一人称、そしてラストの『作家の超然』は「おまえ」という二人称で、語っている誰かがどこかにひそんでいるような感じですすんでいきます。こんなヴァラエティに富んだ描き方もとてもおもしろかった。
どのお話も、でてくる人たちはひとクセもふたクセもあるのにどこか憎めなくてちょっと辛辣。ゆるゆるとからまり合う人間関係が絶妙です。クスっとふきだす可笑しみと、読み手を見透かし言い当ててしまうような、どきりとするどい言葉のかけらたち。

なんといっても一ばんすばらしかったのは、『妻の超然』。
妻が「超然」だと思いこんでいた夫へのありようが、じつは別のものだったと気づく時――「超然」が敗れ去る瞬間の描写はさすが。
『作家の超然』がもっとも重厚で、ラスト数ページでふわりと遠い広がりをみせます。
文学とはなにか。その長い長い果てを見据えた時、作家は超然とするほかない・・・
「おまえ」と語り手が同化して放たれる「ただ待っている。」という言葉。
ここにこめられたのは、「作家・絲山秋子」の覚悟であり祈りなのかな、そんなことを思いました。
Author: ことり
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