『エイモスさんがかぜをひくと』 フィリップ・C・ステッド、(絵)エリン・E・ステッド、(訳)青山 南

評価:
フィリップ・C. ステッド
光村教育図書
¥ 1,470
(2010-08)

動物園ではたらくエイモスさんは、まいにち忙しい仕事のあいまをぬって、お友達の動物たちに会いにいきます。
かんがえてばかりのゾウ、かけっこが得意なカメ、はずかしがりやのペンギン、いつも鼻をずるずるさせているサイ、暗闇がこわいミミズク――エイモスさんとすごすみんなはゆったりと安心していて、幸せそう。
そんなある日、待っても待ってもエイモスさんが来ないものだから、動物たちは心配でしかたがありません。そこで午後になると・・・?

やさしさの膜でしっとりと覆われた、淡くしずかな絵本。
ゆるやかな時間の流れとお互いを思う信頼の気もちが心にじんわりしみてきます。
エイモスさんの風邪は、みんなとすごすあたたかい時間のおかげですぐによくなりそうだね。ほほえましくて、こちらまでうれしくなってしまいました。
木版画で色をつけたあとに鉛筆で細部を描きこんでいるというイラストが、とても繊細で美しいです。

(原題『A Sick Day for Amos McGee』)
Author: ことり
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『ねじの回転』〔再読〕 ジェイムズ、(訳)土屋 政雄

新訳が出たのを機に、久しぶりに再読してみました。
さいきん『レベッカ』や『丘の屋敷』を読んだので、なんとなく懐かしくなって。この『ねじの回転』は、私がさいしょに出逢ったゴシック小説です。
戦慄の物語はクリスマス・イブ、古いお屋敷に集まり怪奇譚を披露しあうメンバーの一人が、20年前に亡くなった女性家庭教師の怖ろしい体験をつづった手記をもったいぶりながら朗読するところからはじまります・・・。

雇い主である英国紳士の魅力に惹かれ、奇妙な条件に釈然としないまま人里離れたお屋敷に家庭教師として派遣される「わたし」。
りっぱな部屋が用意され、幼い兄妹は天使のように美しく、家政婦のグロースさんともすぐに打ち解ける。しかし「わたし」はお屋敷のそこかしこで男女の亡霊を目撃し・・・子どもたちを守るべく、その正体をさぐろうとするが――

生前、このお屋敷で働いていたという男女。邪悪な亡霊たちはなんのために現われたのか。言葉少なな兄妹は、ほんとうに可愛らしいだけの子どもなのか。
終始「わたし」のひとり語りですすんでいく手記のなかでは、彼女の視点からこぼれたものは当然記されることはありません。だから亡霊そのものが妄想ではないのかしらとも思えてくるし、子どもたちにもなにかをこっそり隠しもっていそうな‘裏の顔’を感じてしまいます。
亡霊がかもし出す怖さよりも、その存在をちらつかせ最後まで‘謎’としてほのめかしつつ終わる語りの妙。気味の悪い出来事も黙された過去も・・・あやふやなまま放置されてしまうことにゾクリと背すじが寒くなりました。
しかもこの手記はさらに第三者が「書き写したもの」だという、三重の入れ子構造!どこまでも読み手を不穏な想像の虜にする小説なのです。

(原題『THE TURN OF THE SCREW』)
Author: ことり
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『はしれ!ショウガパンうさぎ』 ランダル・ジャレル、(訳)長田 弘

ショウガパンでつくられた動物が自由をもとめて逃げだす・・・そんな英米の児童文学ではおなじみの設定に、やさしいスパイスを加えて書き上げられたお話です。

メアリのお母さんは、「かわいいメアリが学校からかえってくるまでに、何かびっくりするようなものをつくっといてあげましょう」と、うさぎのかたちのショウガパンをつくることにしました。
薄くのばした生地を成形し、あとはオーブンに入れるだけ。でも、ちょっとお母さんが席をはずしたそのすきに、ショウガパンうさぎは「ぼくはどこにいるんだろう?」とキッチン道具たちに話しかけます。自分がオーブンで焼かれ食べられてしまうことを知った彼は、台所から逃げだして一目散に森のなかへ。
するとお母さんがあわててあとを追ってきて・・・?

リスやキツネやおおきなうさぎに出会いながら、自分自身を知っていくショウガパンうさぎ。オリジナルのように森の動物に食べられちゃうこともなく、ほっこりしあわせな結末です。
挿絵はガース・ウイリアムズさんで、誰も彼もがいまにも動きだしそうな絵は見ているだけでワクワク楽しい気もちになってきます。

(原題『The Gingerbread Rabbit』)
Author: ことり
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『ミリー 天使にであった女の子のお話』 モーリス・センダック、(訳)神宮 輝夫

むかし、のどかな村のはずれに、小さな女の子と母親がひっそりとくらしていました。ある日、村におそろしいいくさがやってきたため、母親は森のおくふかく、女の子を逃がすことにしたのです。「三日たったら、もどっておいで・・・」 女の子は森の中で不思議なことにであいます――。
1816年、ヴィルヘルム・グリムが、ミリーという少女にあてた手紙のあとに、このお話が書かれていました。まさに150年ぶりに発見されたグリム童話に、すぐれた絵本作家、モーリス・センダックが5年がかりで絵をつけたのが、この本です。

物語も、絵も、すべてが息をのむほどの美しさ・・・。
これまで出逢ったなかでもっとも美しい絵本、といっても過言ではないほどです。

清らかで格調高く、美しい音楽がしみ入るようにしずかな感動が私をみたす。
時間も、死さえも超えた永遠の愛の物語。――これは神さまの物語。

(原題『DEAR MILI』)
Author: ことり
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『ナイン・ストーリーズ』 J.D.サリンジャー、(訳)野崎 孝

もうずいぶん長いこと、私の本棚に立てかけられていた文庫本です。
幾度も手にとり、ひとつふたつお話を読んでは中断(挫折)してしまっていたせいで、冒頭の『バナナフィッシュにうってつけの日』はなんど読んだか分からない・・・。
感覚的、というのかしら?むりに解釈しようとするとお話に拒絶されてしまいそう。
クレイジーな人たちのこわれやすい無垢な感性から、キラっと光るなにかをひろい集めるように読んでいく、そんな本だと思いました。

『バナナフィッシュ―』は、いかにもアメリカらしい母娘のちぐはぐな長電話ではじまります。その可笑しな会話から、精神の病に冒されたシーモアのことがすこしずつうかび上がってくるしかけ。
当のシーモアは、ビーチで女の子に語り聞かせます。哀しい魚たちの話を。
「バナナがどっさり入ってる穴の中に泳いで入って行くんだ。入るときにはごく普通の形をした魚なんだよ。ところが、いったん穴の中に入ると、豚みたいに行儀が悪くなる。ぼくの知ってるバナナフィッシュにはね、バナナ穴の中に入って、バナナを七十八本もたいらげた奴がいる」
バナナフィッシュのファンタジーに対比するように、ドキドキするほど破滅的なラストが儚い余韻をのこしていきます。
滑稽さと突飛さと冷ややかさの奇跡的なバランス!!
この本の最後の短篇『テディ』にでてくる天才少年の末路がこのシーモアだというのも心憎い構成。

9つの物語のうち、なんども読んだ『バナナフィッシュ―』がようやく私の気持ちになじみ始めたように、今回ひと通りしか読んでいないお話たちも、今後なんども読み返すことによってもっと仲良くなれるのかもしれません。
高校時代に読んだ『ライ麦畑でつかまえて』も、再読してみたいです。

(原題『NINE STORIES』)
Author: ことり
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『ゾマーさんのこと』 パトリック・ジュースキント、(訳)池内 紀

評価:
パトリック ジュースキント
文藝春秋
¥ 1,550
(1992-11)

ぼくがまだ木のぼりをしていたころ――遠い昔、ずっとずっと昔のこと――身長は一メートルと少し、足のサイズは28、体重ときたら空が飛べるほど軽かった。ウソじゃない、あのころはほんとうに空を飛べた。ほとんど飛べた。

南ドイツの小さな村に住む「ぼく」の少年期のお話です。
風の強い日に坂道を走りおりればふわりと空を飛べたあのころ・・・
するすると木のぼりをしてみたり、生まれてはじめて自転車に乗ったあのころ・・・
そんなみずみずしい日常の節目節目に、雨の日も風の日も雪の日もステッキ片手に黙々と歩きつづけるゾマーさんが、風景のように入りこんできます。
戦争の暗い影を感じさせ、誰もよせつけない孤独な背中。遠い記憶にひそむ冷えびえとした狂気に、「ぼく」は恐れながらも少しずつ惹かれていくのです。
淡くはじけた小さな恋、ヒステリックなピアノの先生・・・ユーモアたっぷりに語られる思い出話に、謎めいたゾマーさんの存在感が哀しげに立ち上ってくる物語。
ジャン=ジャック・サンペさんの挿絵がふよふよと味わい深く、美しい一冊です。

(原題『DIE GESCHICHTE VON HERRN SOMMER』)
Author: ことり
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『丘の屋敷』 シャーリイ・ジャクスン、(訳)渡辺 庸子

評価:
シャーリイ・ジャクスン
東京創元社
¥ 798
(2008-09)

八十年の歳月を、闇を抱いてひっそりと建ち続ける<丘の屋敷>。
心霊学研究者モンタギュー博士は調査のため、そこに協力者を呼び集めた。ポルターガイスト現象の経験者エレーナ、透視能力を持つセオドラ、そして<屋敷>の持ち主の甥ルーク。迷宮のように入り組んだ<屋敷>は、まるで意志を持つかのように四人の眼前に怪異を繰り広げる。そして、図書館に隠された一冊の手稿が<屋敷>の秘められた過去を語りはじめるとき、果たして何が起きるのか?
<魔女>と称された幻想文学の才媛が描く、美しく静かな恐怖。

悪夢が息をひそめ、敵意すら感じさせる古い屋敷で巻き起こる怪異譚。
人の心がじわじわと侵されていく怖さ・・・じっさいの怪奇現象もさることながら、読み手の想像にゆだねられた‘余白のぶぶん’がなんだかとても怖ろしかった。
僅かずつ寸法を狂わせてある構造とか、どこからか絡みついてくる忌まわしい視線とか・・・、過去の住人たちがことごとく逃げだしたという<丘の屋敷>はぞっとするほどの冷気を漂わせ、不安にさいなまれたエレーナを――そして私たちを――邪悪なほうへ、邪悪なほうへと導くのです。

「ああ、なんて寒いんだろう」――
足もとからみしみしと凍りついていくように、この呪われた屋敷に囚われ魅了されていくエレーナ。ゆっくりと忍びよる狂気が、彼女がたびたび思い起こす「旅は愛するものとの出逢いで終わる」という歌詞に哀しく妖しくかさなってゆきます。
いいえ、安らぎだわ、とエレーナは強く思った。わたしがこの世で一番ほしいのは安らぎ。ゆっくり横になって考え事のできる静かな場所。花に埋もれながら夢を見たり、素敵な物語を自分に語れる、どこか静かな場所なのよ。
それまでの人生で疲れきっていた彼女は、旅の最後にとうとう安住の地を見つけられたのでしょうか・・・。

(原題『The Haunting of Hill House』)
Author: ことり
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『人魚とビスケット』 J・M・スコット、(訳)清水 ふみ

一九五一年三月七日から二カ月間、新聞に続けて掲載され、ロンドンじゅうの話題になった奇妙な個人広告。広告主の「ビスケット」とは、そして相手の「人魚」とは誰か?それを機に明かされていく、第二次大戦中のある漂流事件と、その意外な顛末。事実と虚構、海洋冒険小説とミステリの融合として名高い幻の傑作、新訳決定版。

「人魚(シーウィフ)へ。とうとう帰り着いた。連絡を待つ。ビスケットより。」
こんな謎めいた新聞個人広告から導かれてゆくミステリアスな海洋冒険小説です。
日を置いて掲載される三行広告をつなぎあわせ、想像できることはほんのわずか。
・・・どうやら9年前、4人の男女が14週ものあいだインド洋を漂流し生き残った・・・そのできごとを本にしてくれる出版社を募集している・・・。
この広告の真相に興味津々の「わたし」――小説家志望の少々うだつのあがらない男――は、14週間の物語を書くために、のこされた手がかりから広告主との接触をはかります。

そうしてついに「ビスケット」「ブルドッグ」と対面した「わたし」は、彼らが語る回想に耳を傾ける機会を与えられます。想像をぜっする漂流生活の一部始終を。
シンガポール沖で難破した商船から、小さな救命艇(ラフト)で大海原に投げ出されたイギリス人乗客の「人魚」「ビスケット」「ブルドッグ」、そして混血片足のパーサー「ナンバー4」。
本名を明かさないまま語られていく、極限状態でのサヴァイヴァル。襲いかかる飢えと渇き、ぎゅうぎゅう詰めのラフトに照りつける赤道直下の太陽・・・、その描写は読んでいるとこちらまで干上がってしまいそうです。たすかる保障なんてどこにもなくて、生き延びたい!とつよく望む人たちの葛藤や仲間割れ(人種差別)、醜さと浅ましさ、救いと苦しみの連続が克明に描かれてゆきます。

この忘れ去られかけた過去の秘密を、いまになって公表する真意はなにか。
遭難中もつねに気高さをうしなわなかった女性「人魚」の正体は? 野卑なけだものとまで言われた「ナンバー4」のその後は?
最終的にさまざまな謎が解明されていくのですが、そこにたどり着くまでの洋上での漂流シーンがとにかく凄まじくて、ドキドキ手に汗にぎりました。
最後まで読み終えたとき、4人の漂流者がいながら、タイトルがほかならぬ『人魚とビスケット』となっていることの意味を考えてしまいます。

(原題『SEA-WYF AND BISCUIT』)
Author: ことり
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『薔薇と嵐の王子』 ジョルジュ・サンド、(絵)ニコル・クラヴルー、(訳)田中 眞理子

評価:
ジョルジュ サンド
柏艪舎
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(2004-07)

ジョルジュ・サンド生誕200年記念。
G・サンドが孫娘に贈る、生命と愛への賛歌。
色彩の魔法が演出する、大人のための絵本。

かつてひとりの少女が、花たちのおしゃべりをこっそりきいて知ったお話。
花の囁きをきくためには、そっと忍び足で花に近づかなければならないの。そうじゃないと花たちは「シイーッ! ほら、知りたがりやの女の子が聞き耳を立ててるよ!」って、口をつぐんでしまうから・・・。
でも不思議ね、花の言葉がみんなわかった。それまで聞いていたどの言葉よりも花の言葉のほうがわかる気がしたの。

花と微風が語りはじめたお話は、黒い翼をもった嵐の王子の物語でした。
嵐の王子は、生まれたての地球につぎつぎに生まれてくる小さな生命たちを破壊するためにやってきます。自分の力に酔いしれながら・・・、力のかぎり小さな生命たちをなぎ倒して・・・。そんなとき、王子はえもいわれぬ繊細な生きものを目にします。
それは薔薇の花でした・・・。

濃やかで幾何学的で、それでいて凄みと官能にみちた絵がすばらしく綺麗。
ドラマティックな物語を惹きたてる、香りゆたかな絵本です。

(原題『ROSA E BREZZA』)
Author: ことり
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『シンデレラの罠』 セバスチアン・ジャプリゾ、(訳)平岡 敦

評価:
セバスチャン・ジャプリゾ
東京創元社
¥ 777
(2012-02-28)

わたし、ミは、火事で大火傷を負い、顔を焼かれ皮膚移植をし一命をとりとめたが、一緒にいたドは焼死。火事の真相を知るのはわたしだけだというのに記憶を失ってしまった。わたしは本当に皆の言うように大金持ちの伯母から遺産を相続するというミなのか?死んだ娘がミで、わたしはドなのではないのか?
わたしは探偵で犯人で被害者で証人なのだ。
ミステリ史上燦然と輝く傑作。

パリ、フィレンツェ、ニース――そして、カデ岬の別荘。
記憶喪失の「わたし」が、うしなわれた過去を、アイデンティティを探っていくという精巧で隙のないサスペンスミステリーです。
愛憎からみ合う女どうしの濃密で繊細な関係。きらめく陽光がうつし出すものうさとエレガントさ。20歳の娘・ミシェル(ミ)とドムニカ(ド)、後見人のジャンヌ、靴づくりで財をなしたミドラ伯母さん・・・女たちの鬼気迫るかけひきがそれぞれの孤独な心を際だたせます。

「わたし」はいったい誰なのか。どちらがどちらを殺したのか。
ついに真相をつかんだかと思ったらひらりひらりとはぐらかされる、そのくり返し。
なんだか、合わせ鏡の迷宮にまよい込んでしまったみたい・・・。閉じ込められた世界ははてしなく広がっているのに、どこにもけっしてたどり着かない。そこにうつっている「わたし」は、ミなの?それともドなの?
そうして「シンデレラ」の一語でつながれたラストの締めくくりとおとぎ話のような冒頭は、‘真相’さえも闇にほうむり去ってしまいます。

ああ、二重三重に仕掛けられた罠に眩暈がしそう。
深読みしようと思えばどこまでもできてしまう、そこが凄いし、そんな凄さがとても好みでした。(書かれたのは50年も前なのに斬新というのも凄い!)
たくみに操られた時間と視点が真実をくるくると反転させる・・・結局のところ「わたし」はどちらだったのかしら・・・読み手はまったく途方に暮れるしかないのです。

(原題『Piège pour Cendrillon』)
Author: ことり
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