『屋上への誘惑』 小池 昌代

乗客が降り去り、がらんとした車内で、「ああ、こうやって、私も年をとっていくのか」とつぶやく(「バスに乗って」)。花々に囲まれ、「怖くなり、こうしたときは、人としての身分を捨てて、花の一族にそっと加わったら、楽しかろう」と感じる(「真夜中の花と不思議な時間」)。
日常の何気ない情景を、繊細でありながらも力強い筆致で、見事なまで清新に描き出すエッセイ集。
Author: ことり
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『黒雲の下で卵をあたためる』 小池 昌代

ギュンター・グラスの詩に出てきた風景について綴った表題作など、詩人の豊かな感性がひしひしと感じられて心地よい、しずかな抒情にみちたエッセイを収める。
『図書』連載「言葉が広げる風景」に書き下ろしを加え単行本化。

年のはじまりにふさわしい、新しい発見と抒情にみちた凛としたエッセイ。
なんという豊かさでしょう・・・。
たとえば、お湯のなかからすくい取ったばかりの白玉だんご。そのつやつやの肌にできたくぼみからみるみるうちに思考は深まり――、
へこむことは退行なのだろうか。負けなのだろうか。(中略)そこに現れた沈黙は、見るもののなかにも、沈黙のくぼみをつくる。自分のなかのへこみを意識すると、そこへ流れ込んでくるものの気配がある。
たとえば、天気のいい冬の午後、一匹の蠅に妨げられた甘美な眠り。ブンというはげしい羽音でもうひとつの意識が目ざめ――、
羽音はむしろ、蠅の存在を気づかせるものなのに、それが同時に、わたし自身を気づかせるものとなった。蠅だ、というのと、わたしだ、というのが、ほとんど同時に、わたしに来た。蠅はわたしだ、というほどに、同時に。

自由に、透明に、どこまでも広がってゆく果てしない思い。
小池さんのするどい感性から生まれた言葉に心を澄ませ、息をのみ、うならされた一冊でした。
Author: ことり
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『自虐蒲団』 小池 昌代

評価:
小池 昌代
本阿弥書店
¥ 2,100
(2011-12)

詩人、俳人、小説家、腹話術師、コピーライター、編集者――
言葉にかかわる仕事をしている人たちが、日常のすきまに体験する奇妙な時間を描いた掌編集です。

時に蜜のように、時に毒のように、主人公たちを翻弄する‘言葉’の魔力。
雑誌連載時『言葉師たち』というタイトルがつけられていたそうですが、小池昌代さん自身が言葉にとり憑かれた、孤独でうつくしい「言葉師」なのだ、そう感じました。
言葉にうずもれて生きながら、他人と上手にコミュニケーションできない人たち。茫漠とした孤独のなかに、するりと切りこんでくる妖しい事象。
私は、『音叉のように』と『ちいさな、とてもかわいいもの』のお話が好き。
Author: ことり
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『黒蜜』 小池 昌代

評価:
小池 昌代
筑摩書房
¥ 1,995
(2011-09-21)

子どもの世界、そこには感情の原型が生々しいカタチでむき出しになっている。恐怖、怒り、歓喜、悲しみの瑞々しい気持ち。
感情の原初に視線を注いだ掌編小説14編。

ぼんやりと、どこまでも不穏。
たとえば金魚鉢の底の、とろとろとにごった澱みのような短篇集。
ずうずうしい女の人も、凄みのあるおばあさんも、子どもたちのものうい目線のなかでゆっくりと苔むしていつまでも残る感じ。
生まれて初めてぶつかる物事を前にしたときの恐怖の感情、おののきながら進んでいくざわりと忘れられない感覚・・・とくに『姉妹』と『倦怠』のすばらしさといったら、それはちょっとおぞましいくらい。
ゆるやかに歪み、時おりちくんと突き刺さるちいさな棘・・・。
小池さんの周到に選びぬかれた一字一句には、いつもゾクゾクさせられます。

蝉の声がかまびすしい。空気がたぷたぷと波打ってきて、ああ、倦怠だ、とわたしは思う。甘美な幼年時代の夏に、わたしはいきなり放りこまれる。すると、本当の名前が戻ってくる。みるこ、そう、わたしはみるこ、九歳のまま、老いた少女だ。(『倦怠』)
Author: ことり
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『コルカタ』 小池 昌代

評価:
小池 昌代
思潮社
¥ 2,100
(2010-04)

‘ことば’で表現されていくインドの風土、音のうず、熱気の匂い。
耳慣れないインドのことばも、小池さんの手にかかると親しみのある音に変わって、心にぽとっと落ちてくるからふしぎです。

ドクドク、ウゴウゴ、ことばが湧き、ことばがうねる。
小池さんの詩にはいつも、命の力がそなわっている。

山際、ふるえ 波、わななき
夕ぐれの河に 陽が濡れる
雲が 砂が ああ、うごく うごく
ごく、えもう、もう
ああ、おいえ、もう (『雨と木の葉』より)
Author: ことり
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『怪訝山』 小池 昌代

評価:
小池 昌代
講談社
¥ 1,785
(2010-04-27)

『怪訝山』、『あふあふあふ』、『木を取る人』を収めた中篇集。
もう若くはない男女がついと足を踏み入れていく日常のひずみが、官能的な妖しさをたたえた言葉たちで綴られていきます。

とりわけ印象的だったのは、表題作。いかがわしい仕事をしている主人公(イナモリ)が、伊豆の旅館で野卑な仲居・コマコとまじわる奇妙な安息の物語です。
倒木、耳鳴り、臓物の炒め物、金魚、軍服の幽霊、廃屋、洞窟・・・すみずみにまで不気味なほどの命が吹き込まれ、ナマナマとぬめる文章。土と草の匂い、憑かれたような荒々しい性交。
おろおろと、いつもなにかにすがりついて生きているイナモリですが、そんな彼のなかにもけっして飼い慣らせない野蛮な獣が揺れています。人間本来の野性、その衝動が細やかに描かれていて、心ざわめく一編でした。

デンと無邪気に、身体ぜんたいで誘ってくるコマコに私まで気圧されそう・・・。
「あたしはもう妊娠しないよ。ヘーケイしたから。ヘーケイすると、女は山になるんだよ。深い野山さ。(中略)わけいって、わけいって、深く入っておいで。さあさあ、おいでよ、どんどんなかへ。もうあたしは産まない。突き当たりさ。突き当たったところの、山の入り口さ」
Author: ことり
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『転生回遊女』 小池 昌代

評価:
小池 昌代
小学館
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(2009-11-30)

舞台女優だった母親が亡くなって17歳で天涯孤独となった桂子(かつらこ)は、芝居に出演することになり、ひと月後の稽古まで宮古島へと「タビ」に出る――。

乳をたらす大公孫樹、たれ下がるガジュマルの気根、ぬうっとおしべをつきだすハイビスカス・・・うっそうとはびこる植物たちの濃密な気配がお話いっぱいに広がっています。
幸福というものはそれを知る者には、さりげなく甘い、砂糖のようなものだ。けれど知らない者には、劇薬のように効きすぎることがある。甘美なはずの幸福のなかにいて、わたしは皮をむかれたうさぎのように哀しかった。
幸福と哀しみのはざまで、するすると腕をのばす枝のように人とつながり、樹木の精と戯れるようにして男たちとまじわる桂子。亡き母の影を背負いながらも自由奔放に生きる彼女は、樹木と交歓し、うようよとうごめき、さすらい、それでも前へ前へと新しい人生の一歩を踏み出していきます。
空を覆いかくすように繁茂する枝葉、とろりと青くさい樹液、太古からの生命の鼓動。
なまなましく、とてもしずかで、けれど強靭なエネルギーにみちた物語でした。
Author: ことり
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『感光生活』 小池 昌代

評価:
小池 昌代
筑摩書房
¥ 1,470
(2004-06)

日常生活の中に立ち現れる新たな変容と、記憶のように甦る永遠の相。「わたし」という謎の中心に生きて在る感触へむけて、深く降りてゆく15の短篇集。

子どもを産むことで死と再生を内包する女性の感覚、あふれ出た万年筆のインクが映し出す出会いの予感、公園で鳥に餌をやる老人との交感――人生の機微にふれる一瞬一瞬が、みごとに描きだされていく小説集です。
じつは、最初はエッセイだと思って読み始めたこの本。それがだんだん、日常は非日常と、現実は虚構とのあいだを行ったり来たり・・・「あれ?どこまでがほんとう?」そんな不思議な浮遊感がとても心地よかったのです。

小池昌代さんという作家は、ほんとうに本能的・感覚的にすぐれた方。
なにげない情景のなかから、ここぞ、という一瞬を切りとることの巧みなこと。
言い換えれば、小池さんに切りとられた時点でその一瞬はすでに「なにげなく」はないのですよね。そんな‘一瞬’が小池さんの選びぬかれた言葉たちとまじわるときのゾクゾクと体をめぐるなまなましい感覚を、私は愉しんでいるようです。
Author: ことり
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『ことば汁』 小池 昌代

評価:
小池 昌代
中央公論新社
¥ 1,680
(2008-09)

モノクロームの日常から、あやしく甘い耽溺の森へ。
詩人につかえる女、孤独なカーテン職人。魅入られた者たちが、ケモノになる瞬間――川端康成文学賞受賞の名手が誘う幻想の物語六篇。

頭の裏側がなにかにざりざりと引っかかれていくみたい・・・。おぞましさと心地よさがまじりあったような、そんな不思議な感覚に酔いしれた本。
まっ白な頁のうえにお行儀よくならんでいる「ことば」たちが、視線を向けたつぎの瞬間、私のなかで音もなくうねり始める・・・小池昌代さんの書かれたものはいつも、ことばは生きている、その真実を私に思い出させてくれます。

『女房』、『つの』、『すずめ』、『花火』、『野うさぎ』、『りぼん』。
どのお話ももう若くはない孤独な女性の、たとえば叶わぬ恋、黒い欲望や嫉妬心などが、私たち読み手にザワザワした不穏な予感を抱かせます。なにか(誰か)に強く執着しているのに、自分をみつめる視線にはどこか冷めたものを感じてしまうのは、彼女たちのなかにたしかに存在する静かな虚無感のせい?

わたしが眠っているあいだに、深い鍋のなかで、この世の現実は、とろとろと煮込まれていく。夢など見ない。わたしが夢そのものだから。書くことも読むこともない。わたしが物語そのものだから。わたしはもう、ヒトでもないかもしれない。(『野うさぎ』)

「ことば」の背後にある深い深い濃緑の闇に迷いこみ、その隅々まで堪能しました。熟しきった桃を、したたる果汁の最後の一滴までしゃぶりつくすように。
Author: ことり
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『ババ、バサラ、サラバ』 小池 昌代

評価:
小池 昌代
本阿弥書店
¥ 2,625
(2008-01)

針山のなかに入っているのは
椿油をしみこませた人毛だよ
この一文を読んだとき、脳裡にうかんだのは遠い日の幼い私とまだ年若い祖母。
私の祖母も人毛を入れた針山をつかっていたのです。ぷっくりとふくらんだ臙脂色した祖母の針山・・・つめこまれた無数の髪の毛に、祖母以外の女のものは果たして入っていたのかどうか。なにやら心をかきたてられてしまった詩です。
‘ミシン’‘裁縫’・・・小池昌代さんの世界には縫い物にかんするものがたくさんでてくるせいでしょうか。この『針山』は、この詩集でもっとも彼女らしいという気がしました。針に糸を通すしぐさを、少女の官能に結びつけていくところなんかも・・・。

つばをつけてよった糸の先を
こころをとがらせ つきとおす
向こう側へ
裁縫はたのしい
つきさしてぬく
貫通のよろこび
(中略)
わたくしはまだ 十三歳ですけれど
貫通ならもうとっくに知っています
けど それは
わたくしにとって 痛みでしかない
おとこたちが かぶさってきて
とがった針の先で
わたくしをつつく (『針山』より)

「ババ、バサラ、サラバ」 不思議なひびき。
タイトルに使われているこの言葉は、けれどどの詩にも見当たりません。
「ババ、バサラ、サラバ」 こっそりと声に出してとなえてみたとき、にごった音がでる瞬間の、唇にほんの一瞬だけ伝わる振動がくすぐったくて気持ちいい。
Author: ことり
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