『妻の超然』 絲山 秋子

評価:
絲山 秋子
新潮社
¥ 1,470
(2010-09)

夫の浮気をそ知らぬふりでやり過ごす妻――不安と諦念と愛情のせめぎあいをユーモアたっぷりに描く『妻の超然』。
お酒が一滴ものめない理系新入社員――宴席での理不尽に耐え、ボランティアに没頭する彼女とのすれ違いに苦しむ『下戸の超然』。
腫瘍摘出の大手術をうける小説家――生きること、書くことの困難とその本質的な意味に対峙する『作家の超然』。

絲山さんの書かれたものはもうずいぶん読んできた気がするけれど、この本はそのなかでもかなり好きです。
『妻の超然』は妻の冷めた一人称、『下戸の超然』は新入社員「僕」の一人称、そしてラストの『作家の超然』は「おまえ」という二人称で、語っている誰かがどこかにひそんでいるような感じですすんでいきます。こんなヴァラエティに富んだ描き方もとてもおもしろかった。
どのお話も、でてくる人たちはひとクセもふたクセもあるのにどこか憎めなくてちょっと辛辣。ゆるゆるとからまり合う人間関係が絶妙です。クスっとふきだす可笑しみと、読み手を見透かし言い当ててしまうような、どきりとするどい言葉のかけらたち。

なんといっても一ばんすばらしかったのは、『妻の超然』。
妻が「超然」だと思いこんでいた夫へのありようが、じつは別のものだったと気づく時――「超然」が敗れ去る瞬間の描写はさすが。
『作家の超然』がもっとも重厚で、ラスト数ページでふわりと遠い広がりをみせます。
文学とはなにか。その長い長い果てを見据えた時、作家は超然とするほかない・・・
「おまえ」と語り手が同化して放たれる「ただ待っている。」という言葉。
ここにこめられたのは、「作家・絲山秋子」の覚悟であり祈りなのかな、そんなことを思いました。
Author: ことり
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『沖で待つ』 絲山 秋子

評価:
絲山 秋子
文藝春秋
¥ 1,000
(2006-02-23)

仕事のことだったら、そいつのために何だってしてやる。
同期ってそんなものじゃないのかと思っていました。
住宅設備機器メーカーに同期入社して、福岡支社に配属された太っちゃんと女性総合職の「私」。営業マンとして共に働くうち、「仕事のことだったら、何だってしてやる」関係が育っていく。二人の間に恋愛感情はない。その後「私」は埼玉に転勤、太っちゃんは社内の女性と結婚。ふたりはどちらかが死んだら、先に死んだ方のパソコンのHDDを後に残った方が破壊するという約束を交わした・・・。
仕事で結ばれた男女の信頼と友情を描いた表題作に、『勤労感謝の日』を併録。

『勤労感謝の日』も捨てがたいけれど、やはり『沖で待つ』が私は好きでした。
絲山さんがデビュー作『イッツ・オンリー・トーク』から描かれている得意分野、「男女間の微妙な友情」の集大成ともいえそうなお話。一貫して‘ですます調’で懐古的に語られるのが特徴で、突然死んでしまった太っちゃんとの約束を果たすところが切ないのです。
太っちゃんは死んだあとも幽霊(しかもしゃっくりが止まらない)となって自分が住んでいたマンションに居座っていて、そこを訪れた「私」と言葉を交わすのだけど、これってもしかしたら、最後に「私」の秘密を私たちに明かすための心憎い演出かしら。
へらず口を叩きあい、パソコンに秘めた悪シュミを文字通り‘死守’しあう――、
くだらなさと強固な信頼関係とのバランスが、切ないなかにもたしかな光をともしてくれるようです。
Author: ことり
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『袋小路の男』 絲山 秋子

評価:
絲山 秋子
講談社
¥ 1,365
(2004-10-28)

袋小路の奥に住む男(小田切)に惹かれつづけて、指一本触れず、何も起こらず、それでもなお彼を忘れることができない「私」の12年。
小田切から相手にされているのかいないのかもわからないまま高校を卒業し、大学から社会人へと成長しても、「私」は相変わらず小田切から離れられない。彼から誘われれば万難を排して準備するし、大阪に転勤したって彼が骨折したと聞けば、毎週かかさず東京の彼の病院まで往復する。
それを小田切が望んでいてもいなくても、まったく重要ではないし、そして小田切はそんな「私」を中途半端に受け入れては中途半端に突き放す。なかば確信的に。

何の約束もない、近づきもしなければ離れもしない――あいまいな距離をたもちつづけるふたり。だけどそこには、‘そこにしかありえない’親密さがありました。
小田切という男への反感も手伝って、歯がゆい気持ちをなかなかぬぐえない私でしたが、ラストまで読むことで、ようやくこの小説のほんとうのせつなさを知ることになったのです。

あなたを袋小路の奥に追いつめるようなことは一切しない。
追いつめてしまえばすべてが終わる。
だから、今のままでいい。今のままがいい。
「私」はすべて納得ずくで、まるで生殺しのような今の状態を楽しんでいるみたい。「私」と小田切の普通ありえない親密さは、だからこそそこにしかありえない、生まれるべくして生まれたものなのかもしれません。
Author: ことり
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