『夢の浮橋』 谷崎 潤一郎

評価:
谷崎 潤一郎
中央公論新社
¥ 780
(2007-09-22)

若くして死んだ母そっくりの継母。主人公は継母へのあこがれと生母への思慕から、二人の存在を意識のなかでしだいに混同させてゆく。谷崎文学における母恋物語の白眉。ほかに晩年のエッセイ四篇を収載。

ほととぎすを詠んだ歌、二人の母親への奇矯な感情。倒錯する物語。
生母と継母・・・二人の曖昧な思い出が、主人公・糺(ただす)のなかでまざりあい、一体化されてゆきます。生母のお乳を5つになるまで吸い、13歳になっても継母の乳房を舐っていた糺。甘ったれたまま20歳をすぎた彼をいまだ誘惑する産後の継母の艶かしいこと。
「あんた今でも乳吸うたりお出来るやろか、吸えるのやったら吸わしたげるえ」
谷崎さんの文章は流麗なうえに凄みがあって、油断がならないのです。
純粋な思慕からどんどん背徳的でエロティックな危うさを帯びていく糺と継母。親類たちはそんな彼らのただならぬ仲についてさまざまに邪推します。父や継母、妻の思惑が最後まで混沌としていることも、ざらざらした不穏なここちを残すようでした。このざらりとしたシコリこそが、この小説の魅力のひとつなのかしら・・・。

『夢の浮橋』のほかはすべてエッセイ。
『親不孝の思い出』、『高血壓症の思い出』、『四月の日記』、『文壇昔ばなし』。
Author: ことり
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『台所太平記』 谷崎 潤一郎

評価:
谷崎 潤一郎
中央公論新社
¥ 600
(1974-04-10)

お料理上手や姐御肌、器量よしやらハイカラ趣味、鉄火な娘に男ぎらい・・・若さ溢れる女性たちが、かわるがわるに惹き起す騒動で千倉家のお台所はいつもてんやわんや。
愛情とユーモアに満ちた筆で描く笑いの止まらぬ女中さん列伝。

小説家・千倉磊吉(らいきち)――おそらく谷崎潤一郎さんご本人がモデル――の邸宅を舞台にくり広げられる、女中さんたちの愉しい騒動。
昭和の激動期、田舎から出てきた素朴で可憐な少女たちが、そのひとりひとりにやさしいまなざしをそそがれ、人情味あふれる筆致でにぎやかに描きだされています。
磊吉との相性や好みももちろんあるのですが、個性あふれる女中たちがくるくると動きまわるその描写がほんとうに可笑しい。あと、ふとした言動から女性のもつ逞しさ、したたかさなども伝わってきて、思わずにんまりしてしまいました。
谷崎さんの女中さんたちへの愛情、感謝の気持ちが文章のはしばしから感じられる愉しい読み物です。
Author: ことり
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『陰翳礼讃』 谷崎 潤一郎

評価:
谷崎 潤一郎
中央公論社
¥ 500
(1995-09-18)

人はあの冷たく滑かなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。(本文より)
――西洋との本質的な相違に眼を配り、かげや隈の内に日本的な美の本質を見る。

日本の伝統美の本質を、かげや隈の内に見出し語られていく随想集です。
奥ふかい羊羹の色あい、黒うるしの椀に入ったお味噌汁、能役者の頬の色つや・・・それらはすべて、ほの暗い行燈や蝋燭のあかりを前提にしている。ほの暗さのなかでこそ、それらは美しく引き立ち、闇と調和する。この本のなかで谷崎さんはそんなふうに述べています。
翳りにある美を愛する、というのは日本人につよく根づいている感覚なのでしょうね。床の間の暗がりや漆器の黒い艶には私も妖しい魅力を感じてしまうもの。
とりわけ、紙についての文章が好き。おなじ白い紙でも、光線を撥ね返すような西洋紙とちがって、奉書や唐紙の肌は、
柔かい初雪の面のように、ふっくらと光線を中へ吸い取る。そうして手ざわりがしなやかであり、折っても畳んでも音を立てない。それは木の葉に触れているのと同じように物静かで、しっとりしている。
和紙のしめやかな風合いには、心がほっと安らぎます。

笑ってしまったのは厠のこと。
たとえ衛生的でも、風雅や花鳥風月とは縁が切れてしまう西洋式トイレは明るすぎてイヤなのだそうで、そのことについてのユニークな持論がふりまかれます。
最後の章は『厠のいろいろ』。よほど思いいれがあるのかしら・・・ここでも厠について熱く語られているのが可笑しい。

小説とはまたちがった魅力が楽しめる一冊でした。
「陰翳礼讃」――すてきな言葉。
ほの暗い空間で、日本の文化や伝統にあらためて触れてみたくなります。
Author: ことり
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『猫と庄造と二人のおんな』 谷崎 潤一郎

一匹の猫を中心に、猫を溺愛している愚昧な男、猫に嫉妬し、追い出そうとする女、男への未練から猫を引取って男の心をつなぎとめようとする女の、三者三様の痴態を描く。人間の心に宿る“隷属”への希求を反時代的なヴィジョンとして語り続けた著者が、この作品では、その“隷属”が拒否され、人間が猫のために破滅してゆく姿をのびのびと捉え、ほとんど諷刺画に仕立て上げている。

どこまでも滑稽に描かれていく、猫と男とふたりの女の物語。
うっとりとみずみずしくて、するすると読み進めてしまえる豊潤な上方言葉が心地よいです。

妖艶で美しく、しなやかに気まぐれな愛猫・リリー。
庄造はリリーにぞっこんで、そして妻の福子と前妻の品子はそんな庄造に大いに呆れつつも嫉妬する。大のおとなたちが一匹の猫にふりまわされながら、立場や関係をあやうくしていく様子が流れるような筆はこびで描かれていきます。
優雅な佇まいと上目遣いで庄造の心をほしいままにするけれど、でも当のリリーはとても奔放で移り気です。リリーと庄造が時間をかけてじゃれあう様子なんて、思わず「魔性」ということばがうかんでしまうほど・・・。
猫>庄造>女たち。タイトルのあらわすとおり、最上位は「猫」。猫の気高さに対比させるように、人間たちの愚かしさ――女どうしのかけひきだとか、手放した猫にこそこそと会いにゆく男の姿など――が描かれますが、でも、私にはそんな彼らの愚かしさがとても愛おしく感じられました。そうまでして相手に執着する気持ちも、淋しくてどうしようもない孤独な心も。
コンパクトななかに、さまざまなかたちの‘愛’がかろやかな表情でつまっていて、哀しさと可笑しさのバランスがほんと絶妙。ひらりと痛烈なラストもみごとで、また何度でも読み返したい、そう思わせる本です。
Author: ことり
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『細雪』(上・中・下)〔再読〕 谷崎 潤一郎

評価:
谷崎 潤一郎
新潮社
¥ 594
(1955-11-01)

大阪船場に古いのれんを誇る薪岡家の四人姉妹、鶴子、幸子、雪子、妙子が織りなす人間模様のなかに、昭和十年代の関西の上流社会の生活のありさまを四季折々に描き込んだ絢爛たる小説絵巻。

とろりとした上等なお酒を思わせる、なんとも美しく流麗な文章。
耳に心地よいやわらかな上方言葉はところどころ祖母の言葉づかいにも似て、読むたびに私のことを故郷のなつかしい場所へとつれ帰らせてくれます。

関西の上流家庭。おっとりと睦まじく、のびやかな四姉妹の物語です。
シッカリ者のようでぼんやり屋の長女・鶴子に、ぱっと明るくて花やかな二女・幸子。いかにもお嬢様ふうの内気な三女・雪子に、おませで自由奔放な四女(こいさん)・妙子。それから、無邪気に見えて時おり大人びたそぶりをみせる娘の悦子や、愛嬌たっぷりの女中のお春、かいがいしく世話をやく美容院の井谷・・・それぞれに女めいた魅力を放つ登場人物たち。
そんな彼女たちの心の動きを家族間のとるにたらない会話にからめて、谷崎さんは可笑しく、哀しく、きめこまやかに描いてみせてくれています。
世間体やお互いの立場を考えるあまり、姉妹たちは感情がすれ違ってしまうことも。けれど家を守るため体裁を重んじる鶴子の気持ちも、良縁がないまま三十を過ぎてしまう少女のような雪子の気持ちも、奔放ゆえに生きにくそうにしている妙子の気持ちも・・・そして妹たちの将来に心をくだき、本家の姉と妹たちのあいだで板ばさみになってしまう幸子の気持ちも、そのつどストン、とほんとうのことのように心に落ちて、私はいちいち切なくなってしまうのでした。

四季折々の風景や当時の風俗をまじえつつ、日々のこまごまとした小さな騒動から、水害や流産や大病や・・・たいへんな出来事もつぎつぎ起こる物語。それでもどこかのほほんとしたのどかさがただようのは「ええとこのお嬢さん」がかもす育ちのよさのせいかしら。
日ましに戦争の色が濃くなっていく、そんな世間の喧噪をよそに、姉妹たちはピアノを弾いたり、料亭でごちそうを食べたり、お芝居やお花見や蛍狩りを愉しみながら、優雅に暮らします。生まれ育った土地や家を愛し、なんだかんだ言ってお互いを思いやることを忘れない姉妹たち。それは見ていてとてもほほえましかったのです。

遠くきらびやかな夢のなかにいるような、そんな幸せな気持ちがみちてきて嬉しい。
この小説にでてくる女性たちは上品で、とても女らしくて私の憧れ。心がカサカサに渇いて潤いがなくなったと感じた時に読み返してみると、私の心の「女」のぶぶんが少しだけ目覚めてくれるようです。
Author: ことり
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『春琴抄』 谷崎 潤一郎

評価:
谷崎 潤一郎
新潮社
¥ 400
(1951-02-02)

音曲の才能と美貌に恵まれながら、幼くして盲目となった春琴。その春琴に仕える奉公人・佐助の異常なまでの愛と献身を描いた物語。
内容をまったく知らないわけではなかったのに、じっさいに読んでみるとその美しさ、おぞましさたるや眩暈のしそうなほど・・・。文学というものはあらすじだけではけっして味わいつくせないものだけど、この本はその最たるものではないかしら・・・?
少なくとも、私にはそう思えました。

春琴と佐助の生涯をたんたんと語るのではなく、数十年の時を経て第三者の「私」が『鵙屋(もずや)春琴伝』という小冊子をもとに伝聞と憶測を交えながらふたりの特異な愛をひもといていく、そんな手法が物語にふくみをもたせ、より奥深いものにしているよう。息つくひまもないほどに縷々つむぎ出されていく数珠のことばに、柔らかな大阪弁がかさなり、うっとりとした艶めかしさをかもし出しています。
春琴と佐助の、他者をまったく介さないふたりだけの世界がくり広げられていくなかで、やはり印象的なのは佐助が自ら目を潰した後につらなる「佐助は現実の春琴を以て観念の春琴を喚び起す媒介とした」というくだり。
眼が潰れると眼あきの時に見えなかったいろいろのものが見えてくるお師匠様のお顔なぞもその美しさが沁々と見えてきたのは目しいになってからであるその外手足の柔かさ肌のつやつやしさお声の綺麗さもほんとうによく分るようになり眼あきの時分にこんなに迄と感じなかったのがどうしてだろうかと不思議に思われた
光を絶つことで感覚を研ぎ澄ませ、さらなる恍惚に身をふるわせながら春琴に生涯をささげつくす佐助の姿は、私の理解を超えていながらもどこか憧れのようなものを感じさせるのです。
Author: ことり
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