『どちらでもいい』 アゴタ・クリストフ、(訳)堀 茂樹

評価:
アゴタ クリストフ
早川書房
¥ 1,470
(2006-09)

夫が死に至るまでの信じられないような顛末を語る妻の姿が滑稽な「斧」。廃駅にて、もはや来ることのない列車を待ち続ける老人の物語「北部行きの列車」。まだ見ぬ家族から、初めて手紙をもらった孤児の落胆を描く「郵便受け」。見知らぬ女と会う約束をした男が待ち合わせ場所で経験する悲劇「間違い電話」。さらには、まるで著者自身の無関心を表わすかのような表題作など、全25篇を収録。祖国を離れ「敵語」で物語を紡ぐ著者の喪失と絶望が色濃く刻まれた異色の短篇集。

訳者あとがきに「アゴタ・クリストフは言葉に色を着けない。」という一文がありますが、まさにそう。彼女がつむぎ出す文章は一貫してモノクロームで、そしてひとつとしてよけいな装飾がありません。
この短篇集は、1970年代から1990年代前半頃までの彼女のノートや書き付けに埋もれていた習作を編集者が発掘し、まとめたものだそうです。光の届かない場所で、他人をよせつけず、鋭くとがったひややかな文章からは、彼女の人生そのものが喪失の闇に沈み、孤独や絶望と親しくなりすぎてしまった・・・そんなつらく哀しい印象を受けました。だって、どのお話にも救いがないのですから。
自身の人生から、怒りや痛みを結晶し世に突きつけたものが『悪童日記』なら、ここにあるお話たちはそのカケラ・・・これらもまた、彼女の人生の一部なのでしょう。

(原題『C'est égal』)
Author: ことり
海外カ行(クリストフ) | permalink | - | -
 
 

『文盲―アゴタ・クリストフ自伝』 アゴタ・クリストフ、(訳)堀 茂樹

とにかく衝撃的だった『悪童日記』。あんなすさまじい物語を書ける人はいったいどんな人生を歩んできたんだろう・・・そんな思いでひもといてみた自伝。
『文盲』というタイトルでありながら、「わたしは読む。病気のようなものだ。」という文章から始まるこの本。もちろんそこには相応の、そしてすっかり平和ぼけしてしまった私の心を震撼させる‘理由’がありました。

1935年、ハンガリーのまずしい寒村に生まれた著者は、少女時代を両親、兄、弟とともに過ごし、21歳のときにハンガリー動乱から逃れるために乳飲み子をかかえてスイスのヌーシャテル(フランス語圏)に亡命します。
言語はひとつしかないと思っていた幼い頃――祖国を喪(うしな)い、言葉の通じない生活をしいられる様子。文章を読むこと、書くことが人生そのものであるような彼女にとって、それはどれほど苛酷だったことか・・・。
まったく理解できない言葉にかこまれた日々の、その深く哀しい孤独が彼女独特の文章で綴られてゆきます。

この本を読んで『悪童日記』は彼女自身の壮絶な体験が反映されていることが分かりますが、それ自体「母語ではない言語」(しかも敵国語)で書かれていたと知った時うかび上がってくるのは、言語そのものを超越した強靭な意思の力・・・。抑圧された思いが「挑戦」という現実の刃となって、重く痛烈に突き刺さるのを感じたのです。

もし自分の国を離れなかったら、わたしの人生はどんな人生になっていただろうか。もっと辛い、もっと貧しい人生になっていただろうと思う。けれども、こんなに孤独ではなく、こんなに心引き裂かれることもなかっただろう。幸せでさえあったかもしれない。
確かだと思うこと、それは、どこにいようと、どんな言語であろうと、わたしはものを書いただろうということだ。

(原題『L'Analphabète』)
Author: ことり
海外カ行(クリストフ) | permalink | - | -
 
 

『悪童日記』 アゴタ・クリストフ、(訳)堀 茂樹

評価:
アゴタ クリストフ
早川書房
¥ 693
(2001-05)

戦争が激しさを増し、双子の「ぼくら」は、小さな町に住むおばあちゃんのもとへ疎開した。その日から、ぼくらの過酷な日々が始まった。人間の醜さや哀しさ、世の不条理――非情な現実を目にするたびに、ぼくらはそれを克明に日記にしるす。戦争が暗い影を落とすなか、ぼくらはしたたかに生き抜いていく。
人間の真実をえぐる圧倒的筆力で読書界に感動の嵐を巻き起こした、ハンガリー生まれの女性亡命作家の衝撃の処女作。

衝撃的。そのひと言に尽きます。本を読みながら、なんども戸惑い、立ちすくみ、心が凍りつく・・・私にとって、これはそんな物語でした。
飾りけのない文章で、まるでなにかの調書みたいに無感情にたんたんと綴られる、この本はそのまま「ぼくら」の過酷な日々の日記帳。
ぼくらには、きわめて単純なルールがある。作文の内容が真実でなければならない、というルールだ。ぼくらが記述するのは、あるがままの事物、ぼくらが見たこと、ぼくらが聞いたこと、ぼくらが実行したこと、でなければならない。(中略)ぼくらは、「ぼくらはクルミの実をたくさん食べる」とは書くだろうが、「ぼくらはクルミの実が好きだ」とは書くまい。「好き」という語は精確さと客観性に欠けていて、確かな語ではないからだ。

労働、学習、精神や肉体の鍛錬、乞食の練習、断食の訓練・・・彼らは生き抜くためにいくつもの試練を自分たちに課します。子どもだからこそもち得る冷静なまなざし、残酷な言動、貪欲な生命力。その目にうつった死や戦争や貧困や性行為や暴力などを、どんな悲惨なできごともただあるがままノートに記し、自分たちを鍛えあげ、生き残るすべを身につけていくふたり・・・。
「ぼくたちは、痛み、暑さ、寒さ、ひもじさ、というようなあらゆる苦痛に打ち克ちたいだけ」だと彼らは言います。そのいっぽうで、こんなことも言い切っています。
「ぼくらはどんなことも絶対に忘れないよ」
あらゆる苦痛を知り尽くし、その上でそこからけっして目をそらさないこと・・・これほどシビアな物語でありながら、このゆるぎなさ、このラスト。
「衝撃的」以外の言葉を見つけられない私なのです。

(原題『Le Grand Cahier』)
Author: ことり
海外カ行(クリストフ) | permalink | - | -