『夕べの雲』 庄野 潤三

何もさえぎるものない丘の上の新しい家。
主人公はまず“風よけの木”のことを考える。
家の団欒を深く静かに支えようとする意志。季節季節の自然との交流を詩情豊かに描く、読売文学賞受賞の名作。

ほのぼのとした筆致で描かれてゆく、1960年代のある家族の物語。
緑にかこまれた小高い丘のうえの家、素直でやんちゃな3人の子どもたち。主人公の大浦は曇りのない目で、平凡な日々のなかにある季節のうつろいや子どもたちの成長をみつめます。
刻々とかたちを変えてゆく雲のような一瞬一瞬を、大切に、やさしく抱きしめるように。

たとえば、大浦の長女・晴子が修学旅行に行っているときのこんな描写・・・
いつも大浦は仕事にかかる前に、鉛筆を何本か持って晴子の部屋へ行くのだが(彼女の部屋に鉛筆削りが備えつけてあるので)、不思議なもので晴子が旅行に出かけた後は、ふだんの部屋の空気と違っている。
たとえば、梨売りのお爺さんのまえで交わす大浦と細君のこんな会話・・・
「なるほど、赤梨青梨というのは、いい名前だな」
「そうですね。赤鬼青鬼みたいで」

夏休みの宿題のこと、テレビアニメのこと、お誕生日のコロッケのことなど、もうほんとうになんでもないようなできごとがじんわりと心の奥までしみてきます。お父さんのつつみ込むようなまなざしで書かれたお話を読んでいると、幸せだった子ども時代が懐かしくよみがえって、ほろりと切なく温かな気持ちになるのです。
次男の正次郎が冬至の日に風邪をひき、せっかくの柚子湯に入れないときのやさしいエピソードがとくに好きでした。
ささやかな日常生活にぽっと灯るような、たくさんの幸せやすてきなことを見つけだせる人。そんな人に私もなりたいな・・・。
Author: ことり
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『自分の羽根―庄野潤三随筆集』 庄野 潤三

小学生の娘と羽根つきをした微笑ましいエピソードに続けて、「私の羽根でないものは、打たない」、私の感情に切実にふれることだけを書いていく、と瑞々しい文学への初心を明かす表題作を始め暮らしと文学をテーマに綴られた九十篇。
多摩丘陵の“山の上”に移り住んだ四十歳を挟んだ数年、充実期の作家が深い洞察力と温雅なユーモアをもって醸す人生の喜び。名作『夕べの雲』と表裏をなす第一随筆集。

ゆったりとしたなかに頑健な筋がきちんと通っている、そんな印象のエッセイ集。
ある男の子の夏休みの宿題や、息子さんとの帰り道に出くわした小動物の死骸たち、山茶花の花が好きなわけ、「書く」ということについて・・・。日常のささやかな思いから作家論まで、柔らかで知的な文章に心がみたされるのを感じます。
物事にそそがれたやさしく真摯なまなざし、庄野さんの感性が私はとても好き。
あたりの空気がしっとりと色づきそうな一冊でした。

家風というものは、見る人の心に「あわれ」と映るものであるのがいい。(中略)
朝、いちばんに起きた者が次々と家族を起して、それぞれが朝ご飯を食べて、子供は学校へ出かけ、父親は自分の仕事に取りかかる。そこまでの段取りは、近所の、同じくらいの年恰好の子供のいる家庭と、別に大きな違いがあるわけはない。
だが、大きな違いのないところにも、はっきりした「家風」の差というものは生じるのである。それは、ひとつひとつ取り上げれば、実に些細なことであるが、私の家の朝の始まりかたとお隣りの家の朝の始まりかたには、確かにこれは別々の家族だと思わせる何かがあるに違いない。
Author: ことり
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『ザボンの花』 庄野 潤三

ひだまりの縁側でのんびりくつろいでいるような、そんな心地になれる本でした。
おいしいお茶をすすりながら・・・庭にやってきたのら猫に挨拶しながら・・・。

昭和30年代の東京郊外。
5人家族――若い夫婦と3人の子ども――が、麦畑にかこまれた一軒家で織りなす日々。慎ましやかで幸福な日々の暮らしが、春から晩夏にかけての季節のうつろいとともに柔らかな文章でつむぎ出されていくお話です。
近所の奥さんとのおしゃべりとか、仲良しの子供どうしの遊びや喧嘩、音楽会にくり出したり、やどかりを飼ったり・・・描かれているのはささいなエピソードばかりだけれど、そのひとつひとつがかけがえがなく、いつのまにか心をぽかぽかと満たし、ある時は夕焼けみたいにしんとはかない気持ちにさせてくれるのです。

暑い一日であった。正三は昼から四郎をつれて近くの小川へ魚をすくいに行った。矢牧はよほど正三について行こうかと思ったが、つい面倒くさくて、家で昼寝をしていることにした。
千枝は、山とたまった洗濯物をかかえて奮闘している。
そして、なつめのところへは、ユキ子ちゃんがまりつきをしに来ている。今日の休みをたっぷりまりつきをしようという気だ。
矢牧は庭で遊んでいる子供の声を聞きながら、うつらうつらしている。
たったこれだけの文章で、お父さんが家族をやさしくつつみ込んでいる情景がふうわりとうかんできます。なんて平穏で幸福なひととき。
「明日も、あさっても、こんな日がずっとずっとつづきますように・・・」
うつろいゆく時間のなかでそう願わずにはいられない、心底いとおしい物語でした。
Author: ことり
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『貝がらと海の音』 庄野 潤三

評価:
庄野 潤三
新潮社
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(1996-04)

「山の上」の家に、もうすぐ金婚式を迎える妻とふたりきりの生活。
育て上げた子どもたちは立派に成長し、そう遠くないところに暮らしていて、しばしば孫をつれて遊びに来たりする日常。
とくに大きな事件が起こるわけではなくて、庭に植えたばらの花が咲いたとか、長女が3匹の捨て犬をひろったとか、孫の書いた習字が金賞をとったとか・・・
そんな慎ましやかな日々のできごとの物語。

私小説、それともエッセイ?身の辺りで起きたささやかな喜びをひとつずつたんねんにつなげている本。そう、まるで小さな幸せをかさねてつくったミルフィーユみたい。
どんな小さなエピソードにも庄野さんの優しいまなざしがあふれていて、この本の、どの頁を読んでもニコニコ笑みがこぼれ、満ちたりた気持ちになります。
夜、シャトレーのショートケーキを頂く。おいしい。
午後、ブルームーンを見に行くと、蕾が一つ咲きかけている。うれしい。
「おいしい」「うれしい」そういう言葉がたくさんでてくるのって素敵ですよね!
毎日のありふれた暮らしのなかに、喜びはいっぱいいっぱいつまっている。そのことを庄野さんは飾らず、気どらず、ふんわり柔らかな文章で語りかけてくれています。
この本を読んでいると、一日として昨日とおなじ一日はなく、その日その日の積みかさねが穏やかな明日を、未来の日常をかたちづくるのだなあとしみじみ思いました。
遠い将来・・・夫と私の生活もこんなふうだったらいいな。
Author: ことり
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