『ことばの食卓』 武田 百合子

食べものの色、味、匂い――
それにまつわる情景や感じた思いのひとつひとつをあまさずに、豊かに描きだしたエッセイ集です。
枇杷の実のようにみずみずしくて、ふいに少し乱暴なくらいの素直さで心に切り込んでくる文章。悲しいこともひどいことも――指や唇にのこる艶々した官能さえも、百合子さんという人はなんでもないふうにサラリと書いてしまうから、そのせつなさにいつしか泣きたいような心地になっているのです。

ひょっとしたらあのとき、枇杷を食べていたのだけれど、あの人の指と手も食べてしまったのかな。(『枇杷』)

かざらない気もち。とるにたりない瞬間。だからこそ忘れたくなくて、大切にしたくて。
‘あのとき’の空気をぴかぴかのままとじ込めた、ここにしかない言葉と余韻・・・
私の心は本のなかにすっかり置き去りです。

生温かいお酒の蒸気をふりまいて、売子がやってくる。黒革ジャンパーの兄(あん)ちゃん風のとうさんが「おう」と、めざましい声をあげて呼びとめ、ホットを二つ買い、友達の赤ジャンパーのとうさんに一つ奢った。おでんとうどんとソーセージの匂いに、ウイスキーの匂いが混じる。うしろの席で袋をまわし食べしているポプコーンの匂いも加わる。
サーカスには匂いがあるんだねえ」 テレビや映画では散々見ていたが、ナマのサーカスを見物するのは、よく考えてみると生れてはじめてなのだ、と娘が言う。(『後楽園元旦』)
Author: ことり
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『日日雑記』 武田 百合子

評価:
武田 百合子
中央公論社
¥ 620
(1997-02)

通信販売、水族館、美空ひばり公演、愛猫の死・・・世事万端に興味をもつ天性の無垢な芸術者が、身辺の出来事と折々の想いを、時には繊細な感性で、時には大胆な発想で、丹念につづった最後のエッセイ集。

相変わらずものごとをよく見ている、そう思いました。
繊細で心根がやさしく、強い方だとも。
「――いなくなった人たちに」と献辞があるこの本は、日々見たもの感じたものをさりげない文章で記しながらも、親しかった人たちにもう会えない淋しさや儚さがしみしみとただよっています。

最愛のご主人を亡くしてからの日々。大岡昇平先生の死、愛猫(玉)との別れ――
とりわけ、十九歳(ヒトで言えば百歳)で死んだ玉を火葬にしたときの、火葬場のおじさんにお骨をいっぱいほめてもらうお話は胸にせまりました。かなしくて淋しい百合子さんをきっと誇らしくさせてくれたにちがいない、おじさんの言葉。
「カルシューム充分やってあったんだ。ちゃーんと分る。」「それにしても骨格がすっかり揃ってきちーんとしてて見事だねえ。惚れ惚れする。」・・・

食堂で陳列棚の模食(蝋細工の見本料理)を眺め、
突然、あの世って淋しいところなんだろうな。あの世にはこういう賑やかさはないだろうな。こういうものがごたごたとあるところで、もうしばらくは生きていたい!!という気持が、お湯のようにこみ上げてきた。
深沢七郎さんの葬儀のあとで、
畑のような庭。植木や石ころや板ぎれや、転がっている如雨露。柵の向うの雑然とした景色。それらをさーっと見回し、目薬をさすように眼に入れて帰ってきた。

無造作に散らばっている切なくもいとおしい表現たちをひろい集め、きれいな箱にしまっておきたくなるような、そんなエッセイ集でした。
Author: ことり
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『遊覧日記』 武田 百合子

「・・・夫が他界し、娘は成人し、独りものに戻った私は、会社づとめをしないつれづれに、ゴム底の靴を履き、行きたい場所へ出かけて行く。一人で。または二人で。二人のときの連れは、H(娘)である。ヤエちゃんのように充実して、あちらこちらを遊覧出来たら、と思う・・・」(「浅草花屋敷」)。ふと思い立って遊びに出てゆく。そこで見たこと、体験したことをあるがまま、飾り気のない言葉で綴ったエッセイ集。

「すばらしい目の持ち主」――解説の巖谷國士さんが百合子さんのことをこう表現されていますが、まさにそう。
浅草、代々木公園、上野不忍池・・・行きたい場所へ出かけていって、見たまま感じたままを書きつけたという「遊覧日記」は、百合子さんのみずみずしい感性が発揮された言葉たちの宝庫です。
ひとたび彼女の目にとまってしまうと、何者も逃れられないのですね。ジェット・コースターに乗りこむサラリーマンふうの男性も、石畳につまずいてつんのめる和服の女性も、ざくざくと一瞬が切りとられていくような、凄みすら感じさせる描かれっぷりでそれはちょっと怖いくらい。

たとえば、上野東照宮「ぼたん祭」で牡丹の花をみてきた時の一文も・・・
あたしが好きだと思ったのは、開き切ったあと、ふっとゆるんで、脂汁みたいなものが滲み出ていた花だ。まん中へんで一輪見た。(花が咲いている状態は、どんな花でもそうなのだけれど)性器を丸出しにしているのだから、わるいような気がして、あまり長くは見ないできてしまった。
なんて正直で解き放たれた文章だろうと思います。百合子さんの文章って感覚的で、そして映像的だから、こんなにもまっすぐ射すくめられてしまうのかしら。

この本には、お嬢さんの花さんが撮られたモノクローム写真が挿まれています。写真と文章の調和はもちろん、母娘の会話もほほえましくて素敵。
富士日記』で小さい頃の花さんを知っているせいか、なんとなく感慨深いです。
Author: ことり
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『富士日記』(上・中・下) 武田 百合子

ぼんやりと、虚空を見あげるような心持ちで本をとじました。
上巻を読み始めたのはことしの2月で、日々のすきまに――夜眠るまえのひとときやバスタブの中、台所の椅子などで――ちびりちびり大切に読んでいたら、季節がふたつもめぐっていたのでした。

武田泰淳の妻・百合子さんが、富士山麓にある山荘と東京の自宅を行き来しながら暮らした日々(昭和39年から51年まで)を書きとめた家族の日記。
武田百合子さん・・・なんて気持ちのいい文章を書く人だろうと思います。天賦の才ときらっきらの感性、思い切りのよいさっぱりとした性格。行間から、富士の深い霧やこぼれ落ちそうなほどの星、小鳥のさえずりや虫たちの蠢き、芽吹く緑・・・、昭和の暮らしの風景が濃やかに立ち現われてくるのです。

八月十一日(水) くもり
明けがた、急に涼しくなって、寝ていてのどが痛くなる。一日中、低い小さな声で話す。お芝居をしているよう。
午前十一時、河口湖局へ原稿を出しに下る。
ビール二打、ハシゴ千九百円、ノコギリ二丁六百円。ひき肉、トマト、きゅうり、菓子などを買う。
朝 ごはん、茄子中華風いため、大根おろし、しらす。
昼 ふかしパン、紅茶。
夜 コロッケ(鮭かんをいれたら、主人まずがる)、ごはん、トマト。

書かれているのは、なにを食べた、なにをいくらで買った、誰それと会った、どんなことがあった・・・そんなとるにたらない日々のこまごまとした記録です。簡潔ななかにも、ふと心に留まる文章や美しい表現たちがうずもれています。誰に見せるでもなく書かれた「日記」だからこそ、文章はその人を映し、こんなにも読み手の心にすうっと素直にしみてくるのでしょうか・・・。
「クソババア」と言われれば、「クソは誰でもすらあ」と言い返す。
犬が死んだときには、「ポコ、早く土の中で腐っておしまい」と言って泣く。
ご主人が病気してからの自分自身を、「年々体のよわってゆく人のそばで、(中略)気分の照り降りをそのままに暮してきた丈夫な私は、何て粗野で鈍感な女だったろう。」とふり返る・・・。
情にあつく、無垢でおちゃめな百合子さんにすっかり魅せられてしまいました。彼女ほど、文章のなかで正直でいられる人を私は知りません。

帰って来る家があって嬉しい。その家の中に、話をきいてくれる男がいて嬉しい。
百合子さんが一日外出をした日の日記にあった一文です。
いつも当たり前にそばにいて、おなじ景色のなかで、幾度も幾度もいっしょに食事をし、いっしょに布団で眠り、笑い、しゃべり、歩き、時には喧嘩もした夫と妻。
「こうやっていさせろよ」と百合子さんの髪を撫でるご主人の囁きが頭から離れない。
この本を読むことで、武田家の日一日の積み重ねを共にいとおしみ、体験したような気持ちになっていた私だから、最後はほんとうにほんとうにせつなくて、涙がとまらなかったのです。読み終えてしまうのが、淋しかったのです。
Author: ことり
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