『愛その他の悪霊について』 G・ガルシア=マルケス、(訳)旦 敬介

評価:
ガブリエル ガルシア=マルケス
新潮社
¥ 2,100
(2007-08)

余りにひたむきな愛の純情。それは悪魔の仕業なのか?
愛は襲いかかり、愛は奪い去る。
残されたのは生の苦悶、死の情熱とこの美しき一篇の哀歌。

サンタ・クララ修道院の納骨堂から22メートルもの髪を生やした少女の頭蓋骨が見つかったことと、子供のころにおばあさんから聞かされた‘狂犬病で死んだ長い髪の侯爵令嬢の伝説’。そのふたつを結びつけてこの物語は生まれた、冒頭にはそう記されています。(どこまで事実なのかはまたべつの話)
12月の最初の日曜日、額に白い斑点のある灰色の犬に咬まれた侯爵令嬢シエルバ・マリア。背丈よりも長い髪をもつ少女はやがて狂乱し、悪魔憑きとみなされ修道院に収容される・・・。抑圧された人びとの葛藤を独特の豊饒なエピソードで描いた、18世紀半ばラテンアメリカ植民地時代のカルタヘーナの物語。

『ラプンツェル』を思わせる長い髪の少女を中心においた悲恋のストーリーも、「狂犬病」「悪魔祓い」「異端審問」・・・これらのまがまがしいキーワードがからまることによって、魔術的な南米の物語にすっかり様変わり。熱を帯びた濃密な空気が、糞尿や悪臭に汚染されて、鬱屈としたイメージが離れないのです。
迷信のせいで悪魔憑きとされた少女と、悪魔祓いのために彼女に出逢った神父。ふたりの純愛は運命の歯車に翻弄されて――・・・

まだシエルバ・マリアに出逢う前にカエターノ・デラウラ神父がみた夢の描写、
ごく単純な夢だった。デラウラは、シエルバ・マリアが雪に覆われた原野の見える窓の前にすわって、ひざにおいた葡萄をひと粒ずつむしって食べているのを夢に見たのだった。彼女が葡萄の粒をひと粒むしると、房にはすぐさまもうひとつ実が芽生えた。夢の中では少女がその無限の窓の前にすわって、何年もその葡萄の房を食べ終えようとし続けていることが明らかで、また、急いでいないことも見てとれた。なぜなら、最後の葡萄には死があることを彼女は知っているからだった。
この描写に呼応するラストシーンが哀しすぎてせつなすぎて、胸が痺れました。
それはきっと悪霊さえも愛の力にはかなわなかった瞬間・・・。ラスト数行の残像は、なかなか消えないかも。

(原題『Del amor y otros demonios』)
Author: ことり
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『わが悲しき娼婦たちの思い出』 G・ガルシア=マルケス、(訳)木村 榮一

これまでの幾年月を表向きは平凡な独り者で通してきたその男、実は往年夜の巷の猛者として鳴らしたもう一つの顔を持っていた。かくて昔なじみの娼家の女主人が取り持った14歳の少女との成り行きは・・・。悲しくも心温まる波乱の恋の物語。2004年発表。

エピグラフには、川端康成さんの『眠れる美女』の冒頭が引用されています。『眠れる美女』から想を得た本だというのでそちらを先に読んでみたのですが・・・、両者の雰囲気のちがい――この本にみなぎる生命力に唖然としてしまいました。
『眠れる美女』では死が色濃く影を落とし、老いの悲しさ、はかないものの美しさがお話のエロティシズムをよりいっそう際だたせているぶぶんがあったのにたいし、この『わが悲しき娼婦たちの思い出』はたくさんの行動力と前向きな思考が充満し、過去へ過去へと閉塞していく江口老人とは対照的。
このお話の主人公は、『眠れる美女』の主人公・江口老人よりも20歳以上も年上、90歳の誕生日をむかえた男だというのに。

不能の老人と裸体の少女――おなじ設定の物語でも、禁忌にたいする後ろ暗いような秘めやかさが感じられた『眠れる美女』のほうが私は好き。日本と中南米との気質のちがいもあるかもしれないし、『百年の孤独』があまりにもすばらしかったので期待しすぎたのもあるかもしれません。
もちろんこの本にもすてきだな、と思えるところはあって、人はいくつになっても生まれ変われる、90になって知る恋の苦しみもあるということ。・・・これってもしかしたら世の男性たちの究極の‘願望’なのかな。

(原題『Memoria de mis putas tristes』)
Author: ことり
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『百年の孤独』 G・ガルシア=マルケス、(訳)鼓 直

評価:
ガブリエル ガルシア=マルケス
新潮社
¥ 2,940
(2006-12)

蜃気楼の村マコンド。その草創、隆盛、衰退、ついには廃墟と化すまでのめくるめく100年を通じて、村の開拓者一族ブエンディア家に受け継がれた孤独の深淵。
20世紀後半の世界文学を力強く牽引した怒涛の人間劇場。

すごい。すごいすごいすごいすごい・・・。まったく、なんという小説なのでしょう。
あまりにもダイナミックで骨太で豊潤な物語にすっかり放心状態の私です。本をとじた時、そのときからなんだかふわふわしているの・・・。

近親間にまれに産まれるという「豚のしっぽ」を怖れ、逃れてきた夫妻に端を発するブエンディア一族の100年におよぶ盛衰の物語。
夫妻が拓いたちいさな村・マコンドにジプシーのメルキアデスがやってきて、磁石や望遠鏡などさまざまな文明の利器を置いていくところからお話ははじまります。開拓者の妻・ウルスラが中心にどっしりとかまえ、それを絶世の美女や巨根の持ち主や伝説を背負った大佐たちがとり囲むようにして、ブエンディア一族はマコンドとともに栄えていくのです。
「ホセ・アルカディオ」「アウレリャノ」、女の子が生まれたなら「レメディオス」「ウルスラ」。長い年月のなかで似たような名前をつけることを執拗にくり返す一族。100年のうちに巻き起こる戦争やデモ、禁断の愛・・・男たちは戦い、女たちはプライドをぶつけ合います。
空とぶ絨毯や不眠症の流行にはじまり、昇天する女、とめどなく仔を産みつづける家畜、そしてメルキアデスがのこしていった古い羊皮紙――そんな幻想的な側面も、この壮大な物語にかかせない魅力のひとつ。

ゆっくりとお話はすすむのに波乱にみちていて、愛しあっているのに孤独。
絶望と野望、幻滅と狂気、苦悶と悦楽・・・相反するものたちが渦巻いて、生まれては死んでいき、そして因果はくり返される。物語はそんな一族の、そして村の運命をたどっていきます。
「この世の初めから未来永劫にわたる孤独」
この言葉がずっしりと心にのしかかったとき、圧倒されたもの・・・生きている人がいつのまにか背負っている荷物の重たさと、それでも愛をつらぬこうとする、人がもつ性(さが)の強靭さなのかも。
ほとばしる物語の奔流にのみ込まれ、押し流されて、そうして膨大な時の流れをへてたどり着いたラストでの衝撃。この余韻、私はとうぶん引きずってしまいそうです。

<この一族の最初の者は樹につながれ、最後の者は――・・・>

(原題『Cien Años de Soledad』)
Author: ことり
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