『恋人たちの森』 森 茉莉

愛される少年。愛する男。男同士を嫉妬しながら少年を母のように抱く少女。そして、恋人を美少年の魅力から取り戻そうとする黄昏の女の破滅的な情炎。頽廃と純真の綾なす官能の世界を、言葉の贅を尽して描く表題作。愛する少年を奪われる前に殺し、自らも息絶えた男の鮮烈な最期。禁じられた恋の光輝と悲傷を雪の武蔵野に綴る『枯葉の寝床』など、鬼才のロマン全4編を収録。

『ボッチチェリの扉』、『恋人たちの森』、『枯葉の寝床』、『日曜日には僕は行かない』を収めた究極の耽美的小説集。
甘やかな腐敗を思わせる濃密で頽廃的な文章・・・。嫉妬や憎悪の感情をこれほど美しく、哀しく艶やかに描ける人をほかに思いつかない。
ぼんやりとした深い深い霧のなかに、嫩(わか)い皮膚の香いや黒葡萄のような瞳、薄い肉色の脣、火を誘う耳朶の接吻などが、つぎつぎに妖しい官能とともにうかんできます。いまにも腐り落ちる果実のような、恍惚と匂いたつ‘死’を抱き込んで。

その夜寝台(ベッド)の上で、優しい腕でギドウの首を巻き、ギドウの顔を優しい手で囲うようにして、その片頬に自分の頬を擦りつけたパウロの愛らしさは、可憐で、やさしく、パウロの撓いのある背中に廻したギドウの手に、永遠の愛の誓いの力が籠められたことは、言うまでも、なかった。深い夏(グランエテ)の、濃く厚い、無花果の葉の蔭に、優しい小蛇はその黄金色の薄い光を、ひそめたのだ。(『恋人たちの森』)

同性愛者ものに抵抗のある私でも、茉莉さんの描く西欧美にみちたロマンの世界は、永遠に隔離された儚くも豪華な景色として見ることができます。私のような読み手さえも、とろりと酔わせてしまう魔力が彼女の文章にはあるみたい。
「このひとにとって、過去の時間はすべて物語である」、「森茉莉は、ロマンの世界を見るその目で現実を見る」・・・富岡多恵子さんの解説もすばらしかったです。
Author: ことり
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『マリアの空想旅行』 森 茉莉

“私は今度、古都について書くことになった”と始まる第一章「ひともする古都巡礼を」は単なる古都めぐりではない。旅行嫌いの茉莉は写真を見て、思考のおもむくままに、時には脱線し、飛躍しつつ、心に宿る情緒の源としての日本の古都を綴る。第二章では、パリに関することへの思いを、まるで恋人を見るかのような情熱的な眼差しで語る。
日本と西洋、この両者に対する感情の流れに茉莉の二様の魅力が味わえるアンソロジー。

しっとりとした翳りと、どこかのんきな明るさがまざり合った自由なエッセイ。
連想が連想をよび、話が横道にそれてしまうのはいつものことだけど、この本ではたびたび大脱線をしでかして、彼女自身「一体なにを書いているのかわからなくなって来た」なんて言いだす始末。気の向くままにあちこちに思いがとんで‘いま書きたいと思ったもの’をしたためていく・・・そんなマリアさんの文章がおもしろいです。

叱り言は母にまかせ、ほめそやすだけの父。腹違いの兄とその兄をかばう祖母・・・複雑な家庭の空気のなかで、幼い頃からぼんやりとした眼をじっと見開き、そのいちいちを記憶にとどめてきたマリアさん。
七五三のときに父にえらんでもらった友禅縮緬の着物や帯、幼少期に伯林から大きな箱でとどいた外套や帽子がどんな柄でどんな色合いだったかを綿々と語る様子などは、まるで目の前で一まい一まい拡げて見せてもらっているみたいです。彼女が昔のことをこんなに事細かに、鮮やかに憶えていられるのはなぜなんでしょう。
京都について語るときも、大好きな巴里について語るときも、彼女の思いはいつも過去に向けられています。父のすう葉巻の香い、熱を上げたピイタア・オトゥウル、薔薇や菫の砂糖菓子、雪の降り積もる音のない音――淡く遠くかすむ愛おしい日々に。それは心愉しくもあり、少しせつなくもあるのです。

私の記憶の、細い、長い、道の向うに、
――その道には愛情の、緑の葉飾りや、匂いのいい花々が、被さっているところがあったり、恐ろしい青い鬼が襲いかかったところや、誤解と疑惑のたくさんの人の目がとり囲んでいるところもある――
遠く、二体の雛が、灯のように光っていたのである。それは父の愛であった。(『古都と私との繋がり』)
Author: ことり
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『私の美の世界』 森 茉莉

<神さま、今日は何と好い日でしょう!>と言える日が、侘しい自分の暮しにも、腹立たしい今の世の中にも、いつかは訪れるもの・・・。幸福のおとずれをブツブツ言いながらも辛抱づよく待つ著者が、美への鋭敏な本能で、食・衣・住のささやかな手がかりから瞬時に過ぎ去る美を確実につかみ、独自の<私の美の世界>を見出す。多彩な話題をめぐって、人生の楽しみを語るエッセイ集。

エヴァ・ミルクに卵料理、フランス滞在時の気に入りのごちそう・・・
タオルの話、硝子の話、洋服(ジレやスウェタアやレインコオト)の話・・・
食べものやおしゃれについて、とびきり崇高な審美眼で語られていくマリアさんの痛快エッセイです。
こだわりや好き嫌いがはっきりくっきり書かれている文章は――ほかの本に収録され、読んだことのあるものもたくさんあったけれど――、どこから読んでも、なんど読んでも楽しい。小さなシアワセにとても敏感なマリアさんだから、読んでいると単純に「女に生まれてよかった・・」なんてうっとりと思えてくるのです。
たしかに晩年の彼女の部屋は、足の踏み場もないくらいごみにあふれていたという話・・・。でもたとえ、彼女がみていたものと現実に落差があったとしても、それは(私にとって)彼女の想像力の凄さと価値観のゆるぎなさの証明にすぎないの。
だって私はマリアさんの‘ほんものの贅沢’の精神に基づいた、ほのかに薔薇香水の香りが立ち上りそうな美しい文章が好き。ひそやかに自分のための人生を楽しんでいる、そこが好き。

これらのタオルを寝台(ベッド)の背に調和のいい順に、少しずつずらせてかけてある。ミルク入りの薔薇色を左の端に、それから順に橙の果汁の濃淡の縞の、檸檬色の、卵の黄味の色に薄緑の西洋蘭の花のタオル、薄い青竹色、白無地、白で端に薔薇色の線のあるもの。次が煙草色の浴用タオルである。使った後は汚れていなくても好きな香いの石鹸で洗うので、それらの色はみんな冴え冴えしていて、私の寝ざめを歓ばせる。(中略)
恋がなくても人生は薔薇色になりうる。
私は恋をしていなくても、恋をしている人のような楽しさを持っているということは、大変に素晴らしいことだと、思っている。
Author: ことり
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『ベスト・オブ・ドッキリチャンネル』 森 茉莉

「遠慮会釈なく遣っつけるが、栄枯盛衰が左右されることはないのだから諒とされたい。」 臆せぬ批評、確固たる好悪感覚でズバリ一打ち。怒りのマリアのテレビ評。

1979年〜1985年に連載されたという、森茉莉さんのきわめて辛口なテレビ評『ドッキリチャンネル』のダイジェスト版です。編者は中野翠さん。
好き嫌いをかくすことなく、悪態をつくのも絶賛するのも「中途半端なことは出来ないたち」のマリアさん、手加減はいっさいなしです。毒づくのでさえこれほど豊かに繊細に書き表せる、それはある意味芸術的とも言えるのかも・・・。

ただ、私の場合、根本的なぶぶんで残念だった点がひとつあって・・・それはここに書かれている著名人たちをほとんど知らなかったこと(お名前だけはかろうじて、という方もふくめ)。なのでこの本を‘ほんとうに’楽しめたとはいえないのです。
桃井かおりさん、タモリさん、田中邦衛さんなど・・・私もテレビで見知っている方々にたいする記述はおもしろく読んだので、やはりこの手の読み物はその対象をイメージできてはじめて笑えたり納得したりできるのだなぁ、そう思いました。
もみあげを延ばした田中邦衛さんを「三百年続いた西班牙(イスパニア)貴族の、血族結婚のために頭の悪くなった城主に仕えているソメリエ(酒の係り)で、城主の食事のために地下室に下りて行って、葡萄酒の壜の蜘蛛の巣を払って持ってくる、そんな感じである。」だなんて、マリアさん以外誰が表現できるでしょう!!
・・・はあ、ここにでてくる人たちをすべてイメージできたなら・・・。
Author: ことり
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『記憶の繪』 森 茉莉

少女時代から、結婚生活(パリへの渡航)、そして離婚にいたるまでがつづられたエッセイ集。
たくさんのお話が入っていて、一章が2ページ強という短さなので、ちょっとした空き時間にすこしずつ、そんな読書にもおすすめの本です。
私がとりわけ好きなのは、『卵』の章。卵好きのマリアさんは卵についていくつも文章をのこされているけれど、どれも浮き立つような心持ちで、少し夢みがちに書かれてあって心にのこります。
なんて愉しく、美しい文章なのだろう、そう思いながら読んでいます。

私の卵好きはたべることだけではない。まず形がすきで、店先に新鮮な卵の群を見つけると、家に買い置きがあっても又買いたくなる。あの一方の端が少し尖った、不安定な円い形が好きだ。楽しい形である。私は人間の赤子も、あんな殻に入って生れて、両親で温めると或日破れて生れ出るのだったら、清潔で楽しいだろうなぞと奇妙な想像を浮べる。新鮮な卵の、ザラザラした真白な殻の色は、英吉利麺麭の表面の細かな、艶のある気泡や、透明な褐色の珈琲、白砂糖の結晶の輝き、なぞと同じように、楽しい朝の食卓への誘いを潜めているが、西班牙の街の家のような、フラジィルな(ごく弱い、薄い)代赭、大理石にあるような、おぼろげな白い星(斑点)のある、薔薇色をおびた代赭、なぞのチャボの卵の殻の色も、私を惹きつける。(『卵』)
Author: ことり
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『父の帽子』 森 茉莉

東京・駒込千駄木観潮楼。森鴎外の長女として生まれた著者は、父鴎外の愛を一身に受けて成長する。日常の中の小さな出来事を題材にして鴎外に纏わる様々なこと、母のことなど、半生の想い出を繊細鋭利な筆致で見事に記す回想記。「父の帽子」「『半日』」「明舟町の家」「父と私」「晩年の母」「夢」ほか16篇収録。日本エッセイストクラブ賞受賞。

森茉莉さん、初期の随筆集。
後年のちょっぴり毒の効いたエッセイも大好きだけれど、この頃のしっとりと少し哀しみを帯びた文章、私はとても好きです。追憶に彩られた文字のひとつひとつが、いい匂いのするなめらかなお湯のようにやさしくしみてくるのです。
糖蜜のように甘いパッパ、美しく誤解されやすかったというお母さんとの淡い日々。百日咳で死の淵から生還したこと(弟は死んでしまった)や、父との最後の思い出に突きささる刺の痛みなどが、記憶の底からあふれ出すみたいに、正直に、つぶさに、美しい文章で書きつけられてゆきます。

いろいろな場所の夕暮れ時や、真昼、雪の降りしきる真白な世界なぞが私の頭の中に、ぼんやりと浮んで来る。昔の記憶は、夢のように淡い。遠い、白い昔の夢は、底に熱でもあるように、幸福な想いを内にひそめて私の胸の中に、満ちて来る。(『幼い日々』)

この本を読んでいると、茉莉さんが、幼い頃の幸福な思い出を糧に生きてこられたのがよく分かります。
それはふわふわと柔らかく、ほんのりと染まり、大切にとくべつな場所にしまわれていたのですね。子供の頃に体を洗ってもらった感触や、庭に咲いていた花たちの色や匂い、食卓のこまやかな献立から、お味噌汁の鍋の底でからからという貝殻の音まで、こんなにも鮮やかに憶えていられるなんて。

≪泥棒をしても、おまりがすれば上等よ≫――
≪あたしはパッパとの想い出を綺麗な筐に入れて、鍵をかけて持っているわ≫――
いまごろ、天国で父娘はどんな会話をされているのかしら。
茉莉さんは、パッパのお膝に坐ってやっぱり甘えているかしら・・・。
Author: ことり
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『薔薇くい姫 枯葉の寝床』 森 茉莉

自分のことにしか興味が持てない著者が、現実との感覚のずれに逆上して≪怒りの薔薇くい姫≫と化し、渾然一体となった虚構と現実が奇妙な味わいを醸し出す「薔薇くい姫」、男同士の禁断の愛を純粋な官能美の世界にまで昇華させた「枯葉の寝床」「日曜日には僕は行かない」の三篇を収録。

『薔薇くい姫』は、いつも子どものように扱われ、心に怒りの種を秘めている魔利(茉莉さん)が、日常の小さな理不尽を独特の感性で描いていくエッセイふう小説。
自身の美学を主張しつつ、でもその外側から自分のことを俯瞰的にみつめ滑稽に描ききる、そんな彼女の姿が堪能できます。
魔利の現わそうとするものは大抵、わけのわからないものであって、ごちゃごちゃといりくんでいる。それでそのいりくんだものを、どうにかして現わそうと躍起になるから、表現はひどくしち面倒くさくなるのだ。
相変わらずお話があっちこっちへそれていく文章だけど、それもふくめてとってもおもしろかった。時間というものへの恐怖や、子供は天使であるという世間の考えへの反論など共感するぶぶんもたくさんあったし、そのくせ宴席での食事の量がものたりなくてよけいに空腹になった苛立ちが延々と綴られていたりして、そんな大人げなさ、食いしんぼうっぷりも可愛いのです。

あとの二篇は、美しい少年と中年男――『枯葉の寝床』はレオとギラン、『日曜日には僕は行かない』は半朱(ハンス)と達吉――の同性愛が織りなす耽美的小説。
文章のすみずみ・・長椅子(ディヴァン)だとか白鳩(ピジョン・ブラン)など、ルビのひとつひとつにまで茉莉さんの西欧趣味・美意識が息づき、言葉の装飾や色彩もこまやかで濃厚。あふれる香気にむせ返りそうです。キスシーンも圧倒的で、‘死’さえもこのうえなくロマンティックなものとして扱われています。
正直、こういうジャンルは好みではありませんが・・・、この華やかさ、儚さ、危うさは美少年をめぐる偏愛だからこそかもし出せるものなのだろう、そう思いました。
Author: ことり
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『私の中のアリスの世界』 森 茉莉

“永遠のアリス”森茉莉の星屑の様な生の欠片を集めた、エッセイのジュエリー・ボックス。
全集未収録作品も多数収録!読めばあなたも不思議の国へ。

我儘で、自堕落で、でも最高に美しいマリアさんのエッセイ。
全集はもちろん彼女のエッセイには未読のものも多い私なのですが、思った以上に読んだことのある文章がたくさん。『貧乏サヴァラン』との重なりが多いのかしら?

好きなものと嫌いなもの、信じられるものと信じられないもの・・・このゆるぎなさにはいつもながらほれぼれします。
「マリアの恋人は、マリアをどこかの、肉眼ではみえない世界につれて行ってくれるのでなくてはいけない。」 森茉莉という人は、なんて上から目線が似合うんだろう!
美にたいする強いこだわり、並みはずれた直感力。スタイルをつらぬく彼女の、人生の愉しみ方が好き。
私の日日の中の愉しさ、それは詩であった。詩のようなものと言った方がいいだろう。私は詩というものをよく解るとは言えないし、詩を作ったこともない。自分で詩だと思っている、詩のようなものを日日の中で感じているのが、ただ愉しい。その愉しさが心の中に溢れていてそれが生活をなんとなく面白くしているようである。銀色の鍋の中で沸り泡立つ湯の中の、白い卵を見ていると、私は歌を歌いたいような心持になって来る。網目のように交わった桜並木の梢が、何かの煙と一緒に、薄紫に滲んでいる夕暮れの道を歩く時も。
私、マリアさんのこういうところが好き。
Author: ことり
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『貧乏サヴァラン』 森 茉莉

自称「貧乏なブリア・サヴァラン」であるマリアさんのごちそうは――、
ダイヤ氷、エヴァ・ミルクにグラニュウ糖を入れたもの、紅茶(リプトン)、戦前のウェファース、卵料理、薔薇と菫の砂糖菓子・・・。独特の審美眼によって選びぬかれた、魅惑の食べものたち。
まるで王女さまにご自慢のきらびやかな調度品を見せてもらっているみたいで、読んでいるとおなかがすく以前にうっとりとしてしまいました。
いっそ虚しいくらいに純粋で、怠惰なのに美しい。マリアさんの文章(哲学)そのものが、色とりどりの硝子罎から立ち上る香気、上等なお菓子のような味わいなのです。

だいたい贅沢というのは高価なものを持っていることではなくて、贅沢な精神を持っていることである。(中略)
要するに、不格好な蛍光灯の突っ立った庭に貧乏な心持で腰かけている少女より、安い新鮮な花をたくさん活けて楽しんでいる少女の方が、ほんとうの贅沢だということである。

彼女の愛してやまないこだわりの食卓が、美と人生に優雅につながるエッセイ集。
「ほんとうの贅沢」を知っている人、そんな女の人に、私もなれたなら。
Author: ことり
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『魔利のひとりごと』 森 茉莉、(絵)佐野 洋子

評価:
森 茉莉,佐野 洋子
筑摩書房
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(1997-11)

「よじれた襞をつくって流れ落ちる湯は、柔しく、軽い、千も万もの接吻」
鋭い感性で紡ぎ出される豊潤な世界。
佐野洋子のカラー挿画で彩る美しいエッセイ。

ほれぼれするほど美しく瀟洒な文章。茉莉さんの文章はそれ自体ちょっと独特なのですが、でも読んでいるとどんどんクセになってしまう私です。
どの表現からも感じられるのは、徹底した西欧趣味と‘美’に対する強いこだわり。
ゆるぎない確固とした自分をもち、一方で夢みる可憐な少女のように、一方で口うるさいお姑さんのように語る彼女の文章には、花の蜜や石鹸(サヴォン)の深くものうい香いがたちこめています。

細かい氷砂糖のような「数種の花(ケルク・フルウル)」のバス・ザルツ、
白い鳩の胸を刺す時に迸る血のような「ピジョン・ブラン」という名の紅玉(ルビイ)、
紅茶茶碗から唇を離した瞬間にふと気づく「時刻」の寂しげな翼の音・・・

もういまは手元にないもの。あんなに素敵だったのに、あんなにたいせつだったのににどと手にできない宝物について、愛おしそうに語る独自の「美の世界」。この上なく甘やかで、とびきり幸福な夢の部屋。
言いたいことがたくさんで、つい話がわき道にそれてしまったり(どちらが本題か分からないほどのそれようです)、父・鷗外へのダメ出し(娘の手にかかると文豪も形無しで微笑ましいくらい)など、ほんと可笑しくてくすくす笑ってしまう場面もいくつもあったけれど、それでもどこか、彼女の気の強さに相反する儚さがほんのりと切なくただよう。
キューピーのようにほのぼのと愛らしく、キョトンと淫らな佐野洋子さんのイラストがすこぶるよいです。
Author: ことり
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