『マンゾーニ家の人々』 ナタリア・ギンズブルグ、(訳)須賀 敦子

評価:
ナタリア ギンズブルグ
白水社
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(1998-09)

イタリアでもっとも有名な長編小説『婚約者たち』の作者アレッサンドロ・マンゾーニ。
イタリア統一の波乱の時代を生きた、その偉大な文豪(および一族)の生涯を、彼をとりまく人びとの手紙をつなぎあわせひもといたもの。
著者であるナタリア・ギンズブルグさんは、独自の解釈をくわえることで、この本をたんなる伝記や書簡集に終わらせない、ふくらみのあるものに仕上げてみせてくれています。

マンゾーニの母・ジュリア・ベッカリアの章にはじまり、9人もの子をなした天使のような妻・エンリケッタ、「親愛なる友」フォリエル、第二の妻・テレーサ、そして子どもたち・・・マンゾーニをめぐるたくさんの人生がたんたんと描かれ、そして後半は大きな流れにそっとうかべられたたよりない小舟のような、彼の孤独が少しずつ浮き彫りにされてゆきます。
結婚、子の誕生、別れ、そして、死――ギンズブルグさんが書かれるお話にかかせない‘家族の絆’は19世紀の北イタリアの貴族たちにももちろんあって、そのことにふれたから彼女はこの本を書こうと思ったのかしら・・・そんなふうにも思えた私。
家族だからこそ生まれる、その複雑な感情の描かれ方はほんとうに巧みです。美しく繊細で、時に厄介で面倒で・・・家族とはなんて不思議なものなのでしょうか。
マンゾーニにとって、テレーサの死は、悲しみであると同時に、救いでもあったにちがいない。その二つの感情が混然とまざりあって、なにか不明瞭な苦痛となって残った。(中略)彼にとって、彼女はいろいろなものの混り合いであり、煩しさと可愛さ、タマリンドとカシス、また生クリーム入りのコーヒーであり、オポデルドッグの匂いであった。それに、レーサ、モローネ街で共にすごした長い年月があった。その歳月はときにはアンニュイに満ちてはいたが、それでも生活にすっかりこびりついていて、それを記憶から無理に引剥がそうとすると、血が流れた。

私はイタリア史に詳しくないし、詳しければもっとちがった深い読み方ができたのでしょうけれど、それでも読み物としておもしろく、長い時間(3か月ほど)をかけて意味のある読書ができました。
訳者あとがきで語られている須賀さんの熱い思いが、たとえ少しでも、きちんと受けとめられていたならうれしい。

(原題『La famiglia Manzoni』)
Author: ことり
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『モンテ・フェルモの丘の家』 ナタリア・ギンズブルグ、(訳)須賀 敦子

マルゲリーテの館はモンテ・フェルモにある。友人たちはこの館がモンテ・フェルモ(不動の山)の名の如く、いつまでも存在すると信じていた。何が起こっても<ここ>さえあれば・・・。
60年代から70年代にかけてそれぞれが謳歌した自由。そのつけを、今、砂を噛む思いで支払っている主人公たち。手紙形式で登場者の心を表現し切った話題の小説を名手・須賀敦子のすばらしい訳で。

ローマから兄を頼ってアメリカに旅立とうとしている50すぎのジュゼッペと、モンテ・フェルモの家<マルゲリーテ>に家族と暮らす40まぢかのルクレツィア。過去に関係のあったふたりの男女の‘友情’を軸に、いくつかの家族の幸福と不運を、93通もの手紙であぶり出していく物語です。
かなり多くの人びとが登場するので、まずはその複雑な人間関係をつかむまでがちょっと大変だったかな・・・。けれどいったん整理がつくと物語は音をたてて動きだし、私のなかでぐんぐん加速するのが分かりました。

「手紙」というのは言うまでもなく、それを書いた人の主観がすべて。
でもこのお話は、ジュゼッペとルクレツィアのふたりだけの往復書簡だけで形成されているわけではなくて、たとえばルクレツィアの夫・ピエロからジュゼッペへの手紙にルクレツィアのことに書かれてあったり、ジュゼッペのいとこ・ロベルタからジュゼッペの息子・アルベリーコに宛てた手紙にジュゼッペのことが書かれてあったり・・・そんなふうにして客観的な視点をとり入れながら人びとの人生――性格や、まわりにどう思われているのかまで――を浮き彫りにしていく、そこにおもしろさがあります。
もちろん、相手に本心をさらけ出しているとはかぎらない、という怖さも。

一人息子や友人たちと遠く離れて暮らすジュゼッペは、大切な人をつぎつぎに喪います。ぎょっとするような奔放さをもつルクレツィアは、みずから家庭を崩壊させてしまいます。思いは報われず、みんながすこしずつ不幸になっていく物語は、読み終えたときにお祭りのあとのような独特のもの哀しさと倦怠感をのこしました。
血のつながり、愛情のつながり、友情のつながり。いろんな絆で結びつく「家族」があるなかで、彼らはモンテ・フェルモの家を不動の象徴としたかったのでしょうか。永遠にそこにあり続ける家、なにがあっても立ち帰れる場所、そう信じながら。

(原題『LA CITTÀ E LA CASA』)
Author: ことり
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『ある家族の会話』 ナタリア・ギンズブルグ、(訳)須賀 敦子

イタリアを代表する女流作家の自伝的小説。舞台は北イタリア、迫りくるファシズムの嵐にほんろうされる心優しくも知的で自由な雰囲気にあふれた家族の姿が、末娘の素直な目を通してみずみずしく描かれる。
イタリア現代史の最も悲惨で最も魅力的な一時期を乗りこえて生きてきたある家族の物語。

大好きな小説になりました。
読みながら、笑いたいような泣きたいような気持ちがじんじんと胸にあふれて。
「「家族」というのは小説の題材として、複雑怪奇な森のように魅力的」だと言ったのは江國香織さんですが、このお話はある時代のイタリアを生きたあるひとつの家族の姿がまるのまま、ほんとうに魅力的に描かれています。
おなじ空気と時間をまとい、ひとつひとつ閉じられて・・・家族にはその人たちのあいだだけで通じることばや思い出があるものだけど、これはそんなことばたち、思い出たちの物語なのです。
私たちは五人兄弟である。いまはそれぞれが離れたところに住んでいる。(中略)けれど、あることばをひとつ、それだけ言えばすべて事足りる。ことばひとつ、言いまわしのひとつで充分なのである。(中略)
どこかの洞窟の漆黒の闇の中であろうと、何百万の群集の波の中だろうと、これらのことばや言いまわしのひとつさえあれば、われわれ兄弟はたちまちにして相手がだれだか見破れるはずである。

時代背景がきびしいので、心愉しいことばかりではもちろんなく、悲しいこともたくさん起こります。
とくに後半は侵略だとか亡命、逮捕など不穏なこと続き。なのにからりと乾いた明るい感じが文中から伝わってきて、そのなんとも言えない陽気さがとても好きでした。ささやかな家族にたいするナタリアの愛にみちたまなざしも。
カタブツでかなり面倒なお父さんがつくり出す決まりやことば・・・ほんとおかしくて笑っちゃいます。現実に彼のような人が父親だったならかなり大迷惑なくせに、小説の登場人物としてはすばらしいわ・・・そんなことを思う身勝手な私。でもそれって小説として最高だ、ということなのかもしれませんよね。
たとえ時代の荒波のなかにあっても、そんな父親にふりまわされ、時にはおかまいなしに彼の逆鱗にふれることをしでかす母親や兄弟たち。奇妙でステキな愛すべき家族の図――まとっている空気――は頼もしいくらい変わりません。彼らの姿が頭のなかで映像となり、いきいきと駆けまわる・・・物語を読む愉しさを心から感じられた本です。

(原題『Lessico famigliare』)
Author: ことり
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