『地図のない道』 須賀 敦子

なんどもなんども胸がぎゅっと熱くなる・・・。
一冊の書物、デベネデッティの『一九四三年、十月十六日』からはじまるエッセイ。

夫に先立たれ、喪失感につつまれたままの須賀さんが訪れた水の都・ヴェネツィア。
リオ(細い水路)に架けられた小さな橋を渡るとよみがえるのは、関西での幼年時代やミラノでのみじかい結婚生活、コルシア書店にいたユダヤ系の友人・・・須賀さんはつぎつぎに回想の翼を広げてゆきます。
ゲットの橋のたもとでほんの少しのあいだ知り合いを待ち――、何年か後にその時のことを思い出し、もしかしたら彼女は・・・と、はっと思い当たる場面がとても印象的。

街じゅうに張りめぐらされた運河のように、物語の底をしずかな哀しみの水がとうとうと流れている一冊でした。
「治る見込みがない人たちの」病院、ヴェネツィア娼婦たちの歴史・・・
併録の『ザッテレの河岸で』は、およそ似つかわしくない謎めいた名をもつひとつの水路に導かれたミステリーのよう。
水の都に深くきざまれた街の記憶は、さまざまな思いをのせた水脈となって、やがて哀しみの果てへと私たちをつれ去ってゆきます。
Author: ことり
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『時のかけらたち』 須賀 敦子

評価:
須賀 敦子
青土社
¥ 1,728
(1998-06)

靴底を通してのぼってくる、あの舗石の感触は、私に生きることの力を教えてくれる――。
遠い石造りの街で出会った人々の思い出に寄り添いながら、ヨーロッパ精神の真髄を描く、著者、最後のエッセイ。

須賀敦子さんの心に眠る、かけがえのない異国の記憶。
荘厳なパンテオンのぽっかりとまるい天窓、おもちゃ箱を歩いているような気分にとらわれるヴェネツィアの小径、優雅に流れ落ちる滝を思わせる石造りのスカリナータ、雨に濡れると生きもののように黒く底光りするローマやナポリの舗石・・・
おもに美しい建造物――あるいは絵画、あるいは詩――へのとめどない思いをたんねんに書き留めた知性あふれるエッセイ集です。
美しい円形の「穴」――開口部――が天に向って開いていた。私は、自分がその穹窿をかたちづくっている石の一部になりはてたように、ぼんやりと立っていた。朝の太陽の光線が、そのまるい「穴」から色大理石の床に降りそそいで、いびつな円形の光の池をつくっていた。(中略)
やがて私をイタリアにとどまらせ、この国で長い時間をすごすようになったことと、パンテオンのあいだになんらかの因果関係があるとすれば、あの天井に開けられた、まるい穴を見たことが介在するのを否定できないように私は思う。(『リヴィアの夢―パンテオン』)
日本に帰って数十年、かつて住んでいたヨーロッパの町を再訪し、「まるで古ぼけたテーブルクロスを、ひと針、ひと針、大事に糸でつくろってゆく老婆みたいに」つぎつぎに訪ね歩く彼女。甘やかでなつかしい光景と、知人や友人の消息がすっかり途絶えてしまった町・・・。
記憶のなかの美しい日々がよみがえり、白い頁の上につむがれてゆくさまを、しずかな音楽を聴くようにたどってゆきました。
 
ぐっすりとねむったまま生きたい
人生のやさしい騒音にかこまれて。
Io vorrei vivere addormentaro
entro il dolce rumore della vita.
最終章で紹介されているサンドロ・ペンナの残した抒情詩は、まるで須賀さんの思いそのもののような気がします。
あまりにも多く流れた時間のひとかけら、ひとかけらを大切に慈しむように。
Author: ことり
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『トリエステの坂道』 須賀 敦子

サバが愛したトリエステ。重なりあい、うねってつづく旧市街の黒いスレート屋根の上に、淡い色の空がひろがり、その向うにアドリア海があった。(中略)サバがいたら。私は大声で彼の名を呼びたかった。朝の光のなかに、この金色の髪を風になびかせ、カモメとたわむれる長身の青年を見て、詩人はなんといっただろう。

心の奥底のほうから、ひたひたとみちてくるあたたかくて哀しい記憶。
亡き夫ペッピーノが「いつかきみをつれていく」と約束しながら果たせなかった思い出の地、大好きな詩人ウンベルト・サバの故郷トリエステを、夫の没後20年を経てひとり訪ねるところからはじまるエッセイ。
サバの詩をたどるように、須賀さんは坂の多いトリエステの町を歩きつづけます。
つかのまの結婚生活でとつぜん逝ってしまったペッピーノ――愛する夫への思いは、低く切なげな弦楽器のしらべのようにいつも彼女の文章に寄りそっていて、私をしみるような泣きたいような気持ちにさせる。
あかるい日ざし、なつかしの電車道、親しい人と交わしたなにげない会話。貧しさや孤独に向き合いながら生きぬいた人びとの姿が目にうかび、風や町の匂いをすぐそばで感じながら、彼女だけの記憶の小径を私も歩いていたような気がします。

最後の『ふるえる手』という章が、なかでもとりわけ好きでした。
ローマでぐうぜん見つけた由緒ある道ヴィア・ジュリア、教会の祭壇にあるカラヴァッジョの絵画、『ある家族の会話』との運命的な出会い、そして作者ナタリアの訃報・・・哀しく美しいエピソードが宝物のように織りこまれていく章です。
それらが須賀さんの記憶のなかでひとつに重なり光となってゆらめくさまが手にとるように伝わって、胸がふるえました。そのとき・・・孤独を抱きしめ、サバの「自分を映してみる一本の道」をさがす彼女の姿も、私のなかで柔らかにひそやかな光となったのかもしれません。
しがみつくようにして私がナタリアの本を読んでいるのを見て、夫は笑った。わかってたよ。彼はいった。書店にこの本が配達されたとき、ぱらぱらとページをめくってすぐに、これはきみの本だって思った。
Author: ことり
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『遠い朝の本たち』 須賀 敦子

人生が深いよろこびと数々の翳りに満ちたものだということを、まだ知らなかった遠い朝、「私」を魅了した数々の本たち。それは私の肉体の一部となり、精神の羅針盤となった――。
一人の少女が大人になっていく過程で出会い、愛しんだ文学作品の数々を、記憶の中のひとをめぐるエピソードや、失われた日本の風景を織り交ぜて描く。病床の著者が最期まで推敲を加えた一冊。
Author: ことり
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『本に読まれて』 須賀 敦子

評価:
須賀 敦子
中央公論社
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(1998-09)

これから歩いて行く方向に、あるひかりが見えるような書物に出会うよろこび――おぼれるように愉しんだ古典から現代文学まで、観想と記憶が織りなす深く豊かな世界を綴った読書日記。


この書評集にもしも香りがあるとしたら、削りたての木材のような、爽やかできりりとした香り。
みずみずしくて艶やかな言葉と感性で、さまざまな本や作家、そして翻訳者たちが表現されていきます。ここに収録された本よりも、須賀さんの文章を読んでいるほうがずっと楽しいのではないかしら・・・そんなことを思うほど、「書評を読む」という以前に彼女の扱う言葉の美しさにほれぼれしてしまうのです。目にした文字がすぐさま音となり響くような、それでいて、このしんとした静けさはどうでしょう。
須賀さんが読まれてきたたくさんの、幅広い文学。ここで紹介されている本たちのほとんどを読んだことがなかった私は(既読は『山の音』、『猫と庄造と二人のおんな』、『富士日記』のみ)、ざんねんながらこの書評集を深く読みこめたわけではないけれど、そんな私でも純粋に読み物として愉しかった、そう思いました。
1870年代の織物(ウィリアム・モリス作)が使われたエレガントな装丁も素敵です。
須賀さんのほのかな熱意や佇まい、ていねいに織られていく言葉の気配が掌を通して伝わってくるみたいです。


■ この本に出てきた読んでみたい本たち <読了メモは後日追記>
『シカゴ育ち』 スチュアート・ダイベック
『誰がパロミノ・モレーロを殺したか』 マリオ・バルガス=リョサ
『インド夜想曲』→読了、『逆さまゲーム』 アントニオ・タブッキ
『コラージュ』→読了 アナイス・ニン
『シェリ』 コレット
『フランケンシュタイン』 メアリー・シェリー
『旅ではなぜかよく眠り』 大竹 昭子
『五重奏』 アンヌ・フィリップ

Author: ことり
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『ヴェネツィアの宿』 須賀 敦子

評価:
須賀 敦子
文藝春秋
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(1993-09)

しずかにしずかに過去へと向かう、美しいことばでつむがれた至高のエッセイ。
芦屋ですごした幼少期、寄宿舎生活時代やパリへの留学時代、その後ローマに留学した時のこと。イタリア人の男性と結婚しミラノで暮した日々。日本に帰った後、久しぶりにイタリアを訪れた時のこと――
著者・須賀敦子さんが歩いてきた曲がりくねった道の途上、その折々になつかしくうかび上がる父や母の面影・・・暗がりでそっとまたたく思い出たちが次々につむぎ出され、なんだか豊かな霧雨に降りこめられていくみたい。
 
初めてパリで迎えた朝は、しかし、日本での学生時代になんどか休暇をすごした高原を思わせる金色に晴れわたっていて、私は早い時間に寮を出て坂を降り、大聖堂をめざしてセーヌの河岸に出た。橋をわたったあたりで、カテドラルが、夏の早朝の張りつめた空気のなかにその全容を見せはじめた瞬間、どうしたことか、私は、とつぜん、この中世の建造物と自分が、ずっといっしょに連れだって日本からやってきたのではないかという、奇妙な錯覚にみまわれた。それまで自分のなかではぐくみそだててきた夢幻のカテドラルと、目のまえに大きくそびえわだかまる現実のカテドラルとが、きらきらとふるえる朝の光のなかで、たがいに呼びあい、求めあって、私の内部でひとつに重なった。(『大聖堂まで』)

12の章をしっとりと渡ってゆくそれぞれの街の香り・・・
かつて流れていた時間をふわっとつかまえて、歴史や信仰や人との関わりのなかに織り込まれる物語がせつなく、美しく、心にしみていくのが感じられます。異国で亡き父のことを思い出してはじまるこの本が、父の望んだコーヒー・カップのエピソードに帰り着いたその時、涙で文字が見えなくなりました。
彼女のなかの揺るぎのないものと、はにかんだ少女のような淡いためらい。
須賀さんの本を読むたび、おなじ時を過ごしてみたかったと憧れにも似た感情を抱いてしまう私なのです。
Author: ことり
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『こころの旅』 須賀 敦子

きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。行きたいところ、行くべきところぜんぶにじぶんが行っていないのは、あるいは行くのをあきらめたのは、すべて、じぶんの足にぴったりな靴をもたなかったせいなのだ、と。(プロローグ)


『須賀敦子全集』を底本に、あらたに編まれた贅沢なエッセイ集。
芦屋の生家でのエピソード、大好きな詩人ウンベルト・サバのこと、ミラノで出逢った最愛の夫との忘れえぬ思い出――・・・須賀さんが記憶の底で眠らせていた遠い日々が、淡々となめらかな筆致でつむぎ出されてゆきます。
家族や書物や詩人への愛が静謐な光を放ち、薄荷糖のような切なさでしみてくる彼女のなかに息づく情景。ほんの数ミリの行間にこめられた‘語られない思い’に心ざわめき、章の最後の一文がくくられたあとの空白の頁に哀しい余韻がひびく。
孤独と向き合い、ひそやかに迷い嘆きながら結晶させた須賀さんの文章が、いつもどこかなつかしいのはなぜかしら。目のまえを通りすぎる物語と足もとの重厚な歴史に導かれて、私にぴったりな「靴」をみつけたくなります。

Author: ことり
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『霧のむこうに住みたい』 須賀 敦子

評価:
須賀 敦子
河出書房新社
¥ 1,512
(2003-03)

<夜、駅ごとに待っている「時間」の断片を、夜行列車はたんねんに拾い集めてはそれらをひとつにつなぎあわせる>

きれいで美味しいお菓子みたいにたいせつに、時間をかけて読みました。
この人の文章は、どうしてこうも静かで凛と美しいのでしょう・・・。
端正で、上品で、けっして多くを語りすぎず、声高になることもなく。でもその思いはしっとりとつややかな手触りをもって伝わってきます。

記憶の片すみ、おもにイタリアの思い出をめぐるエッセイ。
語られるのはとうに過ぎ去ってしまったひとこまなのに、その時間、その空間が、ふわりと私の目の前に立ち現われます。
春のアスパラガスや真冬に追いかけた太陽、村じゅうの家々が草地に洗濯物を干す一日・・・そんなきらきらした記憶のかけらが、白い頁のうえでいのちをもらい、完璧に息づいているよう。

私の毎週の楽しみに『小さな村の物語 イタリア』というテレビ番組(BS)があります。
イタリアの小さな村を毎週ひとつずつピックアップして、そこでつつましく、ひそやかに暮らす村人たちの人生を紹介していくドキュメンタリーです。
この本を読んでいると、よく笑いよく食べよく遊び、古いものやなじんだものにこだわりながら、‘しなやかに正しく’生きている彼らの姿がかさなり合いました。
Author: ことり
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『コルシア書店の仲間たち』 須賀 敦子

1950年代の半ばに大学を卒業し、イタリアへ留学した著者は、詩人のトゥロルド司祭を中心にしたミラノのコルシア書店に仲間として迎え入れられる。理想の共同体を夢みる三十代の友人たち、かいま見た貴族の世界、ユダヤ系一家の物語、友達の恋の落ちつき先など書店の人々をめぐる情景を流麗に描いたエッセイ。

いまもまだのこっている余韻。胸のあたりがちりちり震えているような、そんな感覚が続いています。
1960年代のミラノ、ひとつの特殊な書店を中心に置いた流れるように美しいエッセイ。馥郁とした香り、あふれてくる感情・・・読みながら、私はなんどもなんども泣きだしそうになってしまいました。

ピノッキオの青い髪の仙女みたいなご婦人がほほえみながらすわる椅子、
おびただしい数の絵にうもれるように飾られた静謐なモランディの絵画、
モンターレの詩の舞台となったモンテ・ロッソをたずねるきらめく初夏の列車――
端正な文章で紡がれていくのは、著者の記憶のなかの風景。
そこでは、かつておなじ場所でおなじ時を過ごした‘仲間たち’が生き続けています。ひとりひとりそっと抱きしめるように、孤独の裡にていねいに思い起こされる愛おしい面影や口癖、仕草。やがてさまざまな事情で別れていく、そんな哀しさがにじみ、いくつもの記憶の断片がつなぐ物語に遠い過去の異国へとつれて行かれる私・・・。
須賀さんがご自身の体験をこのように文章にするまでには、およそ30年の歳月が置かれています。それほどの長い時間をかけなければ分からなかったこと、それが分かって初めて書けた文章だから、これほど重く、深く、読み手の心を揺さぶり沁みてくるのでしょうか。失くしたものを大切に思う気持ちが強ければ強いほど、人は、その慈しみ方が分からないものなのかも。

人間のだれもが、究極においては生きなければならない孤独と隣あわせで、人それぞれ自分自身の孤独を確立しないかぎり、人生は始まらないということを、すくなくとも私は、ながいこと理解できないでいた。
若い日に思い描いたコルシア・デイ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う。(『ダヴィデに』)

すこしずつ確実に忘れ去っていく膨大な過去たちと、それでも心にのこったほんのひと握りの記憶・・・時の流れには果てがなく、記憶はこぼれ落ちるものと決まっているならば、いまこの時を、かけがえない家族や友人を、もっともっと大切に生きていきたい、そう思いました。
Author: ことり
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『ミラノ 霧の風景』 須賀 敦子

評価:
須賀 敦子
白水社
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(1990-12)

記憶の中のミラノには、いまもあの霧が静かに流れている――。
ミラノをはじめ、各地で出会った多くの人々を通して、イタリアで暮した遠い日々を追想し、人、町、文学とのふれあいと、言葉にならぬため息をつづる追憶のエッセイ。講談社エッセイ賞、女流文学賞受賞。

やさしさとかなしみが重なりあい、うつくしく編まれたレース模様を思わせる文章。
須賀敦子さんがイタリアで暮した日々、出逢った人たち・・・もう会えない人たち。
ぼんやりとかすむ記憶の奥から、大切な人びとの横顔をよみがえらせていくしずかなエッセイです。
遠くなつかしい霧の匂い。須賀さんがごく親しい人と交わされた会話、笑顔、歓び――いまとなってはすべてがほど遠く、ヴェールにつつまれた宝物となってせつない光を放っているよう。

夫は病気になり、あっという間に死んでしまった。柩が教会から運びだされるというときに、アントニオだ、とだれかが言った。まわりにいた人たちが、道をあけたところに、アントニオが汗びっしょりになって、立っていた。手には半分しおれかけたエニシダの大きな花束をかかえていた。きみが好きだったから、そう言ってアントニオは絶句した。
それが、アントニオと会った最後だった。

ちいさな情景の一つ一つに、うしなわれたものへのまなざしが刻まれています。
この凛としてしなやかな追憶にみちたエッセイ集は、私のなかにいつまでも深く根を下ろし、ひもとくたびに指標となってくれそうな予感がします。
Author: ことり
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